戦争状況下で「足りぬ足りぬは工夫が足らぬ」と叫ぶ人たち

追い詰められた軍国主義者だけでなく、過激な平和主義者も追い詰められ似たことを口走ってしまうのは、これ以上ないほど素朴な普遍的な人間の本質=共通性を感じられて心が温かくなるよね。
人間ってみんなおんなじなんだね!
 


比のゆくえ――憲法記念日によせて|三春充希(はる) ?未来社会プロジェクト|note
う、うーん……まぁ、そうねえ。
世論調査のまとめはかなり参考になるし、一応巡回はしているもののそれ以外の分野に関しては概ね電波が強すぎて某魔人ブウの「こまった、ちょっとかてない……」画像を思い出してしまう程度には素人にはおススメできないんですが、でもまぁこの人の国際関係ネタって毎回こんな感じだよね。むしろ専門分野だと突然マトモになる専門家あるあるの方。
個人的にはあのトランプ時代の北朝鮮との対話の時から「これで東アジアが平和になるので軍縮!」なポジションだったので、もうキケロ―ばりの「軍拡ほろぶべし」な定番ネタだと思ってますけど、。

 ロシアとウクライナの戦争を呼び水として、こうした軍拡だけでなく、改憲や統制の強化などが一斉に進められようとしている現状があります。自覚的であれ無自覚であれ、多くの人が戦争に絡め取られてしまっており、左派やリベラルはこの状況に対峙する有効な拠点を保持できていません。それではどのように考えを出発させたら良いでしょうか。

比のゆくえ――憲法記念日によせて|三春充希(はる) ?未来社会プロジェクト|note

でもこの胡乱な時代について考えてみる出発点としては悪くない点じゃないかな。
そもそも論で言えば自称リベラルな僕としては、『法の支配』を軽視する*1この人はまったくリベラルではないとは思ってますけど、それはまぁ別の話として。

「左派やリベラルはこの状況に対峙する有効な拠点を保持できていません」

同じ(上記にも言った通り同じではない)リベラルとしてその点は、まぁその通りだと思うし、そこを思考実験してみるのも理論武装していく上でも必要なことでしょう。
一体どうすれば戦争と虐殺を止めることができるのだろうか? なんて。


ここでまず大前提としておかなければいけないのは、欧州のリベラルな人たちがその為に積み上げてきた国連憲章国際法などといった枠組みが侵略や普遍的人権への侵害を止めることに概ね全て失敗した、という点にあるわけでしょう。
故に彼ら彼女らは最後の手段として、ウクライナへの徹底的な軍事支援とそして自身の軍拡にすら踏み出すようになった。
それは単純に平時からある選択肢の一つというわけではなく、最後の最後まで追い詰められた果てにヨーロッパが逃げ込んだラストリゾートであります。


ロシアへの制裁や国連での働きかけなど、少なくとも彼ら彼女らが信じる戦争以外の選択肢は全てやった上で、最後の手段に出ようとしている。
今回ネタにしている『比のゆくえ』で認識にものすごいズレを感じるのはこの部分なんですよね。
著者はこの期に及んでも、人びとの平和を信じる連帯が足りていないからだと確信している。国境を越えて私たちが共通性に目を向け平和を信じれば平和になるのだ。(私たちそれぞれの『平和』の定義に目を瞑れば*2)まぁその通りかもしれないね。でもこの精神論って結局無限に拡張できてしまう悪辣な論法でもあります。
お前が失敗するのは、お前らの信仰心がまだ足りないのだ、なんて。
つまるところ、今回の『比のゆくえ』で言っているのは、人びとの相互理解が「まだ」足らないから戦争が終わらないのだと、「足りぬ足りぬは工夫が足らぬ」以上のことは何も言ってないんですよ。
精神論で平和を実現しようとする人たち。さすが我らが大日本帝国の子孫であります。


一方でこの論点で言うと、皮肉にもこちらと比べれば相対的に切迫した戦争状況を解っている(ように見える)のが、某元大阪府知事さんの方でもあって。
ウクライナでの戦争が始まって以来、彼の「さっさと降伏しろ」論が議論を呼んでおりましたけども、あれだってむしろ彼の弁護士らしいリベラルなポジションの発露だとは思っているんですよね。その「状況に対峙する有効な拠点」としてとりあえずの『降伏』を選択している。
まぁその選択がもたらす短期的中期的長期的な副次被害については、まるっと無視しているようにしか見えませんけども
「ここは地獄だ」 問答無用で射殺、連日レイプ ブチャ市民らの証言 | 毎日新聞
実際に、頭上からは空爆されミサイルを撃たれ、地上ではレイプや虐殺されている人たちに対する、少なくとも現実的選択肢を提示しているという点ではまだこちらの方が100倍マシであります*3
それこそ現在進行形でロシアに侵略されレイプされ虐殺されている人たちに「隣国のロシア人との連帯が足りないからだ」なんて説教するのはサイコパスみたいなもんでしょう。




国際秩序と普遍的人権が侵害されている状況おいて、欧州リベラルたちは現状で持ちうる全ての選択肢を試したうえで、最後の切り札を切ろうとしている。

「左派やリベラルはこの状況に対峙する有効な拠点を保持できていません」

有効な拠点とは、結局、身も蓋もなく、軍事力である。
ザ・軍拡。
――という事を認めてもまぁ別に左派やリベラルと名乗ってもいいんじゃないかなとは僕は思います。アクティビストではない『リベラル派』とされる国際政治学者の大多数もそのことを認めているのだし。
普遍的人権よりも平和を愛するガラパゴスな本邦リベラルからするとなかなか受け入れがたいのかもしれませんけど、でも本場のヨーロッパは既にそうしているのだしね。
精神論を訴え実質何もしないまま侵略や普遍的人権への侵害を容認するよりもずっとリベラルな態度じゃないのかと。
もちろん一方で、そうした人権よりも戦争を拒否する方が重要だと考える、今回のようなユニークな人たちが居るのはそれはそれで一つのポジションではあります。
別にそういう人たちを論破()したり懐柔したり説得したりするつもりはないので好きに生きていけばいいんじゃないかな。
それをリベラルと呼ぶことだけはちょっとどうかと思いますけども。


みなさんはいかがお考えでしょうか?