私たちは「何もしない」ことを―証明終了―できるだろうか?

「はい何もしないって言ったのに、息したから、心臓動いたからダメ~~~」な小学生のノリが歴史的に持ち出されてきた地獄の国際関係。


先日の通常日記でも少しネタにしたお話ではありますけども、


割と非難轟轟ではありますけど、しかし今回のウクライナの件はもちろん、歴史上における戦争の大義名分とかかわるような深い話をしているとは思うんですよね。
もしかしたこの人はそこまで議論が盛り上がることを期待してわざとトンチキなことを言ってみて観測気球をあげているのかもしれない。だったらちゃんとそれに乗ってあげるべきだよね。
ということで、「何にもしてないのに攻めてくるわけない」という言葉の「何もしていないのに」の定義について、の以下適当な思考実験のお話。




(国家主権の尊重という、現代国際関係における大前提である自らの自由裁量権に事実上の制限を課すことの正当性という根本的で致命的なお話はさて置くとして。)
真っ先に思いつくのは、ここでは「何にもしてないのに攻めてくるわけない」と主観的に述べられていますけども、戦争という行為である以上そこには相手が存在しているわけで。
つまり、相手が「何にもしてない」と思わなければ意味がない、という点でしょう。
もちろん例えば核兵器を開発したり*1、国民を強制的に収容所に入れてみたり*2、国民に化学兵器を使ってみたり*3、軍事侵攻し占領した土地で虐殺をしてみたり*4、と解りやすく白黒つけやすい話ではあれば話は簡単なんですよ。
確かにそういう状況では「何にもしてない」とまさか言える状況では絶対にない。
しかし悲しいかな現実世界はそう単純ではないわけでしょう。
白と黒――「何にもしてない」と「何かしている」の間には無限にグラデーションが広がっている。
そこで幾ら自分が何にもしてないと主張してみても、相手がそう思わなかったらまったく意味がないんですよ。



はびこる汚職や癒着 元日銀マンが語る知られざるウクライナ | 毎日新聞
例えば最近出たニュースに、マイダン革命の後の金融システムの改革に日本人が手を貸したニュースがありましたけども、これだって間接的にウクライナの「ロシア離れ」に日本が手を貸しているのは間違いないでしょう。親露政権時代のシステムを作り替える=欧米型のシステムに作り替えることに手を貸しているのだから。
これは絶対に「何もしてない」と言える状況ではない。それはロシアからの自立を意味しており、影響力低下に繋がることは間違いないんだから。
文字通りの意味で私たちはロシアに何かをしてきたし、更には経済制裁という意味でも「何かをしてきた」。
しかし幸いなことに戦争にはなっていない。
今回のウクライナ侵攻も、NATO加盟を考えたことが発端となったとロシアは主張していますけども、ところが現在スウェーデンフィンランドの加盟がほぼ実現しつつあるのに、いきなり戦争とはなっていない。
明らかに「何かしている」のに戦争にならない国々たち。つまりそれは実質「何にもしていない」のと同等になってしまう。


その一方で、かつての我が国は盧溝橋とかいう橋の近くで起きた「謎の発砲事件」を名目に日中戦争を始めたことがあるわけで。
確かに私たち日本の側にとっては「何かあったから」中国と戦争を始めたわけですけども、一方で中国の側からすれば「何もしていないのに」戦争を始められてしまった。
まぁ確かに盧溝橋事件は中国共産党の陰謀で日本軍は被害者であるというガンギマリ擁護をかます人たちも少なくありませんけども、この人はそういうことを言いたいのかな? 大丈夫? ネトウヨって言われない?
――ものすごく皮肉なことに、「何もしていないのに攻めてくるわけない」という言葉は、他ならぬ私たち自身がそれを間違っていることを、この世には邪悪な企みが存在していることを証明してしまっている。




つまりここでツイート主が提起している「何にもしてない」は、プーさん(意味深)の有名な「何もしないことをする」のようなトートロジーの罠に嵌まり込んで証明不明となってしまいかねないし、更にはそもそも自分が何にもしないことが相手にどう見られているかは自分がどう思っているかと実は同一ではないというクオリアな問題に行きついてしまうのであります。
ある人にとってはそうかもしれないし。ある人にとってはそうじゃないかもしれない。
いや、どっちやねん。
それはニュートン力学として考えた場合のあらゆる速度が相対的であるように、あらゆる観測者の価値観が静止していない以上その「何もしていないのに」も相対的な観測に過ぎない。
上記のNATO加盟のタイミングのように、あるいは邪悪な日本軍の企みのように「何もしていない」の定義は一定ではない。




ちなみに、そうした「何かしようとしているのか否か」という半ば永遠に明確な答えが出せそうにない=相手の『意志』を考えるのはやめて、相手の『能力』を持っているかどうかだけをもっと単純に考えよう、という所からリアリズムの基本的な思想が生まれるわけであります。
そして今陰謀論界隈で大人気のミアシャイマー先生は『大国政治の悲劇』の中でそこから更に議論を進め、「大国は本質的に生存の為のパワーを求め続け、それは様々な形で外へと膨張していく」と述べているのであります。
つまり「何もしなくても(大国の周辺に存在しているというだけで)攻めてくる」のだと。
まさかこのツイート主が過激な反ミアシャイマー派だとは思わなかったなあ。大丈夫? ミアシャイマーを持ち出して親露アクロバティック擁護をしている人たちに怒られない?



(国家主権の尊重という、現代国際関係における大前提である自らの自由裁量権に事実上の制限を課すことの正当性という根本的で致命的なお話はさて置くとして。)
「何にもしてないのに攻めてくるわけない」のその「何にもしてないのに」の定義について。
きっとこの人には自明なんでしょうけど、僕は絶対にそれを証明するのは不可能だと思うなあ。少なくとも今はまだそれは相対的にしか観測できないから。
――いや、もしかしたらこの人は「何もしていない」ことについてのアウトかセーフかの完全なるホワイトリストを作れ、と言うユニークな主張なのかもしれない。確かにそれならばワンチャンあるかもしれないね。世界政府とかいうやつのことかな? ワンピースで見たことある。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:北朝鮮は戦争されてない

*2:中国はされてない

*3:シリアはされてない

*4:ロシアはされそうにない