敬虔なる能力主義者たちのキリエ

経済格差の方法というテーマながら、そこで流動性の確保を堂々と言ってしまう無垢で敬虔なる信徒について。



「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)
「経験は金で買えない」は真実か「そもそも経験には金がかかる」の反論続々…学歴の平等性の話も - Togetter
切り抜き動画のせいらしいのか、何故か10か月前の話題らしい「学歴vs経験」なネタが盛り上がっていたそうで。まぁこの腐敗した世界に堕とされたGOD'S CHILDな私たちにとってはどうしようもなく刺さってしまい、一家言を口に出したくなってしまうテーマではありますよね。

今の日本は、学歴を重要視し過ぎだと思います。いい大学を卒業して、いい企業に入社する、それが高収入につながって、それが成功として捉えられる。これが果たして本当に当たり前なのでしょうか。そのレールに乗れない、または落ちてしまうと、失敗として捉えられ、結果として収入が下がってしまっているというのが今のスタンダードだと思います。

つまり、この学歴社会こそが経済格差の原因であると思います。だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。

「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)

「学歴がダメなら経験で勝負するようにすればいいじゃない」的な発言をした平原さんをして『令和のマリーアントワネット』とか大変面白いことを言われていて個人的に目を奪われていますけども、でもまぁぶっちゃけこの議論の本題である「格差を解決する方法」においては何の解決もなってないよね。
この辺は、その後の成田さんのあまりにも身も蓋もないアメリカにおけるAO入試の実情によって引っ張られている面もあって彼女だけの問題ではないと思うんですけども、
そもそも『学歴』だろうが『経験』だろうが、どちらにしてもそこで経済的勝者と敗者が生まれるのは間違いなくて、そこから格差が生まれるのは確実じゃないですか。


――ただ一方で、これは能力主義における中心的教義である『流動性の確保』という面では、それなりに説得力のあるお話なんですよ。

  • 『学歴』で勝負する為には良い大学に入ることがそのレールの出発点でありそこを間違えると挽回するのが難しい。
    • 故にもっと流動性を確保する為に『経験』を基準にしたらどうか。

という彼女の主張には全面的には賛成できないものの、一つのアイディアとしては理解できます。
でもこれは結局のところ、ただただそちらの方が一度失敗しても建て直せる=流動性が高い、と主張しているだけであって、本題の「格差を解決する方法」にはまったく繋がらないわけでしょう。
学歴で負ける人たちがいるように、(既に上記togetterなんかで散々批判されているように)経験で負ける人たちが居るのも確実なのにね。
むしろ、そこで安易に学歴よりも経験勝負の方がより公正なルールである、と主張してしまうことは、より「努力した勝者」と「無能で怠惰な敗者」との収入格差を正当化しかねない紙一重なお話であります。



この辺の構図については、サンデル先生が『実力も運のうち 能力主義は正義か?』の中で次のように仰っているわけで*1

能力主義にとって重要なのは、成功のはしごを上る平等な機会を誰もが手にしていることだ。はしごの踏み板の間隔がどれくらいであるべきかについては、何も言わない。能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ。

上記の彼女が確信犯(誤用)として不平等の正当化を言っているとはまさか思いませんし、おそらく彼女は本気で善意から、学歴より経験の方がいいと言っているのでしょう。
しかし経験の方が収入格差を無くす公正なルールだと主張することで結果として――おそらく本人もそこまで意識していないだろう――身も蓋もない残酷な能力主義の一面を見せてしまっていることこそ、今回の件で一番面白い所だとは思うんですよね。
そうなると、最初の『令和のマリーアントワネット』という評価が一周回って正しいことになってしまって、やっぱりクッソ面白いお話だと思うんですけども。

だからこそ、人を評価する判断基準は学歴ではなく、その人個人が持つ唯一無二の経験。いつからでも、自分の頑張り次第で結果も生み出せて、収入格差がなくなると思います。

「学歴中心の履歴書から経験中心の履歴書へ」女性起業家の発言が10か月経って“炎上” ? SAKISIRU(サキシル)

つまり、学歴社会ではなくなりいつからでも取り戻せるはずなのに収入格差が生まれるとしたら、それは本人の努力が足りないからである。Q.E.D.
学歴が無いなら経験で勝負すればいいのに。
……え? 何でいつでも自分の頑張り次第で取り戻せるのに努力しないの?


かくして、格差を解決する方法と流動性の確保の方法を一緒くたにして祈ることで、気付いているのかそうでないのか本人が無垢に確信している能力主義的な敬虔な一面を露にしてしまっている。
今回のお話ってそういうマリーアントワネットなお話なのだと個人的には思ってます。
まぁでもサンデル先生が言っているように、それは成功者のほとんどが通る道だから仕方ないよね。誰だって自分の成功は、自分の才能と努力の結果であると信じたいものだし。
しかしそれは敗者を努力が足りない怠惰な存在であると見下す冷酷な能力主義と表裏一体でもある。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
  
 

*1:第5章 「成功の倫理学