天国(世界平和)に一番近かった男

「1991年8月19日までにソ連を改革できなければ即死亡!」



ゴルバチョフ元大統領が死去、91歳 ソ連最後の指導者 - BBCニュース
旧ソ連最後の指導者、ゴルバチョフ氏の政治人生を振り返る - BBCニュース
そういえばゴルバチョフさんが亡くなったそうで。

リチャード・ニクソン米大統領時代に国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏はBBCのニュース番組「ニューズナイト」の取材に応じ、ゴルバチョフ氏は「人類とロシア国民のためになる歴史的な変革を始めた人物として歴史に刻まれるだろう」と述べた。

ゴルバチョフ政権と共に東西ドイツの統一交渉を行った元米高官のジェイムズ・ベイカー氏は米紙ニューヨーク・タイムズに、「ゴルバチョフ氏は彼の偉大な国家を民主主義へと導いた巨人として、歴史に名を残すだろう」と語った。

ゴルバチョフ元大統領が死去、91歳 ソ連最後の指導者 - BBCニュース

以前からちょくちょくこの人に関連する時代についての本を読んでいて、身近な分本邦の某鳩山さんを個人的には思い出してしまうんですよねえ。
おそらくは本気で善意で『改革』を推し進めようと意気込んでいたものの、結局はそれに(むしろ悪影響の方が大きいというレベルで)大失敗してしまった。
ゴルバチョフは昭和の・ソ連鳩山由紀夫だったかもしれねえ。いやまぁ時系列的には「平成のゴルバチョフ」の方が鳩山さんなんですけど。




第7回 「ウクライナ侵攻はない」と旧ソ連の専門家はなぜ主張したのか | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
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上記BBCや廣瀬先生あるいは大串先生などの旧ソ連の専門家の方々が指摘しているように、結果として冷戦を終結させることになったゴルバチョフについて、西側からは「ソ連からやってきた平和の使者!」的な扱いをされることが多いものの、その国内ではまぁ悪魔の様な扱いであったと。

「昔、ゴルバチョフが好きでした、とは一言も言えなくなりました。『最初はよかったけれど、後で国家運営に失敗した』ということではなくて、最初から評判悪いですし、それも特にアゼルバイジャンだけというわけでもないんです。ゴルバチョフ時代にソ連の各地で、反ロシア的な行動が起きたとき、彼は激しい弾圧をしていたんですよね。アゼルバイジャンの場合ですと、1990年、ソビエト連邦軍がバクーに侵攻した『黒い1月事件』があり、相当数の一般人が殺されました。それを決断したのは、最後はゴルバチョフです。わたしが、『ゴルバチョフすごい』と思っていた頃は日本では相当なアンテナを張っていない限り、そういう情報はキャッチできなかったと思います。しかし、後で調べてみると、旧ソ連のあちこちで弾圧や流血の惨事が起きていたんです」

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そして事実上共産党と一体化していたKGBを統制することにも失敗した彼は、運命の1991年8月19日に至り最終的には救出されるもののクーデターまでされてしまう。
う~ん、やはりこれはスケールのより大きいソ連の鳩山。少なくとも実際に欧米諸国を「トラスト」させることには成功していたし、なんなら新たな世界平和を目指しながらも失敗してしまうところまで。



ともあれ、結果として、西側とも協力することでロシアを再びアメリカに並ぶ超大国にするというゴルバチョフの試みは致命的に失敗し、その彼自身への悪評だけでなく国内的には西側との協力関係というテーマもまた致命的に信用されなくなってしまった。今でも民主党政権時代の負の遺産を思い出させ政権交代という幻想を棄てさせてくれているあの人のことかな?
――どちらにしても、そのソ連崩壊時の民衆たちの恨みつらみは、プーチンの下で西側非難な陰謀論として歪に培養されていき、やがてそのナショナリズムウクライナへの戦争という形で噴き上がることになる。
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こうしたゴルバチョフから始まる今尚続く『ソ連崩壊の物語』として見ると、新しい戦争の始まりというよりは、むしろ冷戦終結ソ連崩壊の余波であるという指摘には割と納得できる構図であるように思えます。


一方で特に皮肉な構図だと思うのは、国内では『悪魔』とまで言われていたゴルバチョフを、西側では本気で善意から無邪気に冷戦終結=世界平和の立役者であると持て囃した結果が、今のプーチンですら用いている「欧米によるロシア弱体化の陰謀」の歴史的な証拠だと見られてしまっている点でしょう。
その評価のギャップこそが、今の欧米のロシアの価値観の分断を生んでしまっている。
いやまぁそもそも東西冷戦時代からすれ違ったままだろうと言うとまぁ身も蓋もないんですけど。


その最初の一歩であるはずの「ゴルバチョフ評」すらも、こうして「世界平和に一番近づいた男」と「地獄行きの悪魔」と真っ二つに分かれているのは、ロシアによるウクライナ侵攻で混沌としている現代世界を見る上で考える価値のある歴史的分断の一つではないかと思います。
こうして結果論として振り返ってみても、ポスト冷戦時代にあったロシアと欧米世界の蜜月とはやはり初めから同床異夢でしかなかったのではないか、なんて。
冷戦が終わったあの瞬間から、現在ウクライナで見ている分断はずっと続いてきたのだ、と。


平和の使者か、あるいは悪魔だったのか、ミハイル・ゴルバチョフの死について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?