「ごめん、COP27には行けません。今、ロンドンにいます」

私の作るこの本も、きっといつか、誰かの青春を乗せるから。


グレタさん、COP27に参加せず 「ごまかし」と批判:時事ドットコム
グレタさん不参加も致し方なし、エジプトCOP27取材で見た混乱の舞台裏 みるみる暴騰する滞在費用、温暖化防止会議は資金力ある者だけのものと化した(1/7) | JBpress (ジェイビープレス)
以前からずっと日記ネタにしているように個人的にはグレタさんを応援したい気持ちはあるものの、今回の欠席宣言ってその登場の最初期からあった「汚い大人と無垢な子供」というその両者分断の構図が未だに続いているのが地味に示唆されていて面白いお話ではあるかなあと。

 トゥーンベリさんは「COPは主に政治指導者や権力者が注目を集める機会と化し、さまざまな種類のグリーンウォッシュ(温暖化対策に取り組んでいるように装う巧妙なごまかしのこと)に利用されている」と強調した。グレタさんは資本主義や市場の枠組みを利用して温暖化対策を進めようとする大人たちをグリーンウォッシュという言葉を使って批判してきた。

 筆者は子供たちを“脱資本主義”に誘うグレタさんのロジックにはとても同調できないが、COPに行かないという気持ちは理解できる。COPはもうグレタさんのような若者世代がお小遣いをはたいて参加できるイベントではなくなった。参加者が増えたことで開催地のホテル代は高騰。今年はインフレ高進もあって筆者も心臓が飛び出すような思いをした。

グレタさん不参加も致し方なし、エジプトCOP27取材で見た混乱の舞台裏 みるみる暴騰する滞在費用、温暖化防止会議は資金力ある者だけのものと化した(1/7) | JBpress (ジェイビープレス)

「COPはもうグレタさんのような若者世代がお小遣いをはたいて参加できるイベントではなくなった」
というのはグレタさんからすれば失敗の象徴ではあるのかもしれませんけど、別の見方=それこそ資本主義の論理からすればある種の『成功』でもあるのは間違いないわけで。
つまり、最初の資本が多ければ多い程より多くの金が動かせるようになる、という資本主義の論理に則れば。
トマ・ピケティが『21世紀の資本』で身も蓋も無く看破してしまったように、労働するよりも金が金を呼ぶ方が強い、なんて。


グレタさんは今回のCOP27の不参加について、次のように語ってその理由を説明していますけども、

グレタさんはロンドンで開かれたイベントで、「私は多くの理由でCOP27には行かない」と表明。「COPは主として、指導者や権力者がさまざまな種類のグリーンウォッシュ(環境に配慮しているように装ったごまかし)を使って注目を集めるための機会に利用されている」と批判した。

グレタさん、COP27に参加せず 「ごまかし」と批判:時事ドットコム

大人の立場から彼ら彼女らを擁護するならば、そもそも『指導者や権力者がさまざまな種類のグリーンウォッシュ(環境に配慮しているように装ったごまかし)を使って注目を集める機会に利用されている』というのは、現代社会ではほとんどそのまま『お金を集める機会』と同義なんですよ。
注目が集まれば集まるほど、お金も集まるようになる。
――これは皮肉にもグレタさんの活動自体が証明していて、彼女がミクロな個人としてひたすら炭素排出を避けるような生活をするよりも、多少の排出を伴ってでもマクロな対外的活動をした方が全体としてポジティブな影響が大きくなるわけでしょう。
であればこそ良くも悪くも経済人である私たちは、そこで追加の多額な費用を掛けてでも広告を出したりイベントに参加してその注目を集めようとしている。
そう考えると、グレタさんが批判し、ジャーナリストの人が嘆いているような上記COPの現状はある意味では成功しているとも言えるんですよね。


そこで集められた金額全てが気候変動問題に使われることは絶対にないでしょう。
その意味においてはグレタさんの批判は一部では正しい。
しかし、それでも、そうやって汚いやり方で集められたお金を一部であろうが環境の為に使われるのは間違いないわけで。
綺麗なやり方で集めた金額すべてと、汚いやり方(といっても違法ではなく限りなく資本主義的なやり方そのもの)で集めたお金の一部を使った金額、その多寡について聞かれれば大人の僕としては後者であると答えざるを得ないかなあ。


巨額の先行投資が必要である炭素排出問題において、それに投入される金の多寡こそが問題を一番穏当(ここ重要)に解決できる選択肢である、という大前提を考えればまぁ普通の大人でそういう結論になるしかない。
――もちろんそういった市民の権利を尊重した「穏当な解決」を目指さないのであれば色々と方法はあるんですよ。
人減らしとか、都市生活から農村への強制移住とか、強権独裁体制による炭素排出制限をしても『市民の幸福』の実現とか、核の冬とか、アクシズ落としとか色々あるけどどれにする?


かくして、どちらにしても気候変動対策のお馴染みの結論としては、やっぱり「どうやって金を集めるか?」という問題に行きくことになる。そしてそこから派生して「じゃあ一体誰が金を出すのか?」という私たちの日常生活でも見慣れた問題は、大人であればあるほどそのミクロからマクロまで常に付きまとういつもの難題に立ち竦んでしまう。
まぁそこで『汚く賢しい』大人たちはいつもの手慣れた、身も蓋もなく言えばそれしか知らない悪辣な――その視点で言えば脱資本主義を訴えるグレタさんの主張には一理ある――資本主義的な方法で、お金を集めようとしている。
それに対して無垢な善導者である子供のグレタさんはこう叫び返すのです。

人々は苦しんでいます。人々は死んでいます。生態系は崩壊しつつあります。私たちは、大量絶滅の始まりにいるのです。なのに、あなた方が話すことは、お金のことや、永遠に続く経済成長というおとぎ話ばかり。よくもそんなことが言えますね!

はたして、このカネをめぐる両者の分断は埋まる事があるだろうか?
金の話をしていてはお前たちの未来を守れない 金が無ければお前たちの未来を守れない - maukitiの日記
この日記の最初にも書きましたけど、やっぱりこの物語に登場する人たちずっと同じ話をしているんですけど。


気候変動問題に立ち向かうだけのお金を集める方法について。
大人のみなさんはいかがお考えでしょうか?