なんとなくクラウゼヴィッツ

クラウゼヴィッツをちゃんと読まずに引用したことがない者だけが石を投げなさい。


<社説>年のはじめに考える 「平和外交」を立て直す  :東京新聞 TOKYO Web
うーん、まぁ、そうねえ。社説の本筋としては、

新しい安保戦略はそうした視点を欠いています。「平和国家として、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とはならず、非核三原則を堅持するとの基本方針は今後も変わらない」と記すだけで、平和国家の歩みをどう生かすか、言及がないのです。

<社説>年のはじめに考える 「平和外交」を立て直す  :東京新聞 TOKYO Web

そんな風に中身が無いと言いつつも、実際にはその社説にも『平和外交』の中身が無いのはちょっと語るに落ちてる即落ち二コマ感あっていいよね。
――悲しいことに現代国際関係では「じゃあそれウクライナでも同じことを言えるの?」というお前サバンナでも言えんのコピペが誰にでも簡単に使えてしまうというのに、こんな中身の社説を書いてお金が貰えるのは正直羨ましいよね。
それこそもし本当に『平和外交』でロシアを停戦させられるならば今すぐそうすればいい。しかし欧米各国は自分たちにはそれが不可能なことを理解しているからこそ、『平和外交』ではなく現在進行形で軍事支援と自国の軍事費を積み上げている。だから日本政府の中身が無いのも当然なんですよ。だって世界中の他の誰も、軍事力以外で、ウクライナの暴挙を止められるとは思っていないんだから。
少なくとも現状では「解なし」である。
その目の前で進行している問題を見て見ぬフリをして平和外交を叫ぶのは国家として責任ある議論だとはとても言えないよね。その意味では言及しない方がまだ誠実であるとは言える。
いや、じゃあそもそも『社説』には責任感が無くていいのかというと、うん、まぁ、そうねえ……無くても良さそう。



ともあれ、今回の社説が殊更に面白おかしい社説になっているのは、何故かオレ流クラウゼヴィッツのお話が出てきているところでしょう。

戦争とは政治の延長線上にあると指摘したのは、プロイセン軍事学者クラウゼビッツです。長年読み継がれる「戦争論」の慧眼(けいがん)に学べば、軍事的衝突は政治・外交の失敗にほかなりません。

<社説>年のはじめに考える 「平和外交」を立て直す  :東京新聞 TOKYO Web

はえ~~~クラウゼヴィッツはそんなこと言ってたんだ~~~(言ってない)。
「戦争は政治におけるとは異なる手段をもってする政治の継続*1」からそういう学びをするのってもうそれ新しいクラウゼヴィッツじゃん。クラウゼヴィッツ2.0じゃん。シン・クラウゼヴィッツじゃん。そんな新たな政治哲学の地平を東京新聞の社説なんかで発表するのもったいなくない? 
でもまぁクラウゼヴィッツの『戦争論』ってむつかしいもんね。僕もかつて本編そのものは途中で挫折しマトモに読み通したとはとても言えないので、その気持ちよく解ります。
――というかぶっちゃけ「『戦争論』読んでない」って割と専門家の間ですら定番のあるあるネタでこの社説を書いた人だけじゃないわけで。真面目に読んだら滅茶苦茶時間が掛かるだろうそれを読めなんて気軽に言えない。聖書とかシェイクスピアとかニーチェとかをしたり顔で引用するけど、実際には読んでおらず孫引きで分かった気分になっているのと一緒だよね。うっ……なぜか頭が……。
だからこそクラウゼヴィッツの関連本もいっぱい出版されているわけで。個人的には少し前に読んだ『クラウゼヴィッツの「正しい読み方」』が面白かったので、クラウゼヴィッツを読んだフリをするならオススメかな!




でもまぁこの妄言それ自体は、戦後日本のユニークで、自己中心的で、歪な平和主義そのものっぽくて未だにそれを続けてるんだなあと逆に感心してしまうところではあるんですよね。
こういう人たちにとっては「まだ戦後は終わっていない」感じがよく出てる。
そこでは自分たちが侵略したという反省(まぁその理解自体は概ね正しい)が強すぎる故に、そもそも「自分たちが始める」以外の状況をまるで想定していない。「軍事的衝突は政治・外交の失敗にほかなりません」という素朴すぎる発想ってまさにコレでしょう。
もちろん自分たちが戦争を始めるという想定であれば、政治・外交の失敗という前提は100歩譲って理解できるんですよ。でも歴史を振り返れば明らかに難癖を吹っ掛けられて戦争が始まった事例なんて幾らでもあるわけで。
きっと韓国もベトナムも二回のイラクも二回のアフガニスタンも、侵略側ではなく侵略された側が外交を失敗したのが悪いんだもんね。あるいは大日本帝国に侵略された朝鮮や中国や東南アジアも、我々日本との外交を失敗したのが悪いんだもんね! ネトウヨ(の中でも更にアレな人たち)がよく言ってる!



最初の繰り返しになりますけど、今まともに国際ニュースを見ているのならば、ウクライナで今何が起きているのか知っているはずなのにね。
そこでウクライナの政治や外交が失敗したのが悪い、なんて言ってしまってはロシアによるウクライナ侵攻の正当化ほとんどそのままじゃないですか。
グレタさんに言わせれば「よくもそんなことを!」ですよ。
もし本当に現代国際関係において意味のある『平和外交』が存在しているのであれば、ウクライナ侵攻でそれが見られているはずだし、もしそれが見られないのであれば……。


ユニークなクラウゼヴィッツの新解釈によって繰り出される平和外交について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?