100年前の「井戸に毒」からまるで成長していない正義感の強い私たち

デマは事実よりも強し。


《草津町長選挙ルポ》「もう許さない方がいい」「“セカンドレイプの町”と言われても仕方ない」セクハラを告発された現職町長(74)と女性元町議(52)が繰り広げた、批判チラシ飛び交う“温泉街の争い” | 文春オンライン
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黒岩草津町長の「性犯罪」虚偽告発③:北原みのりの言い訳編 - Togetter
そういえばちょくちょく日記ネタにしてきた『セカンドレイプの町』草津に天罰(町長にとは言ってない)が下ったそうで。
う~ん、まぁ、そうねえ。結果論だけで見るなら、良く出来たデマは事実よりも強いということがまた改めて証明されてしまった、というオチかなあ。


まぁもちろんmetooや性被害者を支援した人たちが短慮だったという構図はあるんですけども、それだって悪意というよりもむしろひたすら素朴な善意から「騙されて」しまったことで、推定無罪の原則は吹き飛んだ。。
――だって、「スケベオヤジな町長に稀少な女性議員がセクハラされている!」なんて物語はあまりにも良く出来過ぎているから。おそらくここで男女が逆だったら、一時の話題にはなっても一瞬で忘却されていたことでしょう。
その点で確かに(大多数の)彼ら彼女らに責任はないんですよ。最初に嘘をついた人が一番悪い。
しかし同時にまた、そんな善意からなる彼ら彼女らの存在こそが「良く出来たデマは事実よりも強い」という古今東西人間社会あるあるのクソな部分の根幹をなしているわけで。


だから今回の騒動の結論としては割と単純だし見慣れた光景でもあるんですよね。
私たちは、見たい物を信じるし、良く出来ている物語こそ信じる、といういつもの人間のアレ。
ここで良く出来ているというのは、それが精緻に練られているかどうかではなく、多少雑であっても私たちが無意識レベルで持っている価値観あるいは偏見による「如何にもありそう」という構図に沿った物語であります。
「田舎のスケベオヤジな町長に稀少な女性議員がセクハラされている!」なんてまぁ如何にもありそうだよねえ。
そして、悪いやつをやっつける手助けをしてやりたい、というきもちがふつふつと湧き上がると……。



ダニエル・フェスラー先生が指摘しているように、私たちにはポジティブな出来事よりもネガティブな出来事の方が関心を引きやすく、記憶に保存されやすい。ガチャで爆死したことばかり覚えている我々のネガティビティ・バイアスという悲しいサガ。
加えてそうしたネガティブな物語の方が「モチベーションを刺激する力が強い」とも先生は述べていて、そのモチベーションの刺激こそが今回のような人間普遍の光景を説明してしまう。爆死して思わず掲示板に書き込むだけならまだ可愛いものの、そのモチベーションの矛先が全国からの町長吊るし上げ運動っていうのがまた笑える――当事者にとってはまったく笑えないお話でもありますけど。
良く出来たネガティブなデマに踊らされる人たち。
それこそ本邦なんて100年前にも「井戸に毒を投げ込まれた」とネガティブなデマに踊らされて正義()が暴走してしまった過去があるわけだしね。その頃からまるで成長していない中世ジャップランドやんとか言われると、正直反論できなくて……ぐぬぬってなります。
スケベオヤジや不逞朝鮮人をやっつけてやりたい!! なんて。
まぁ『9・11』後のアメリカや、テロが多発していた頃のヨーロッパでも見られた光景なので――それこそ上記が『ネガティビティ・バイアス』として心理学としてマジメに研究されているように――きっと日本人だけではなく世界中で共通の人間の愚かさでもあるしちょっと安心だよね。
よかった、バカなのは日本人だけじゃなかったんだ。


おそらくきっと100年後も私たち人間は同じことをしているのでしょう。しかし、それでも、100年前の井戸に毒を反省するように、あるいは今回のレイプ草津を反省する人が一人でも増えればいいんじゃないかな。
大事なことなのでもう一度書きますけども、そんな愚かな思い込みからくる正義心の暴走によって被害を受ける人たちはまったく笑えないお話ではありますけども。
――そしてもう一つ笑えないのが、かつての朝鮮人が虐殺されても仕方なかったと開き直る人たちがいるように、今回もまた吊るしあげられても仕方なかったと開き直るという、まぁそっくりな光景が見られるのはまったく笑えないお話の方で、やっぱまるで成長してないわ。


デマは事実よりも強し。
みなさんはいかがお考えでしょうか?