自縄自縛なリベラルの私たち

チェックアンドバランス? なにそれおいしいの? って独裁者のように開き直れたら楽だったのにね。



トマ・ピケティ「欧米の左派政党は庶民ではなく、もはや高学歴者のための政党となった」 | 左派政党から庶民が離れたのは、左派政党の責任だ | クーリエ・ジャポン
経済学者トマ・ピケティ「欧米の左派政党は、イデオロギーにとらわれ、庶民階級をかえりみていない」 | 欧米はアイデンティティ政治から抜け出さなくてはいけない | クーリエ・ジャポン
ピケティ先生のありがたいお話。

庶民階級の左派離れは、要因が複雑に絡み合っていて、簡単には説明できません。ただ、左派政党に大きな責任があるのは事実です。1980年代頃から、左派政党が掲げる再分配政策の規模は非常に小さくなりました。左派政党がこれから庶民階級の有権者を取り戻したいならば、この数十年やってきたことと根本的に反するようなことをしなくてはいけないかもしれません。ちょっとした調整ではまったく対応できないのです。

トマ・ピケティ「欧米の左派政党は庶民ではなく、もはや高学歴者のための政党となった」 | 左派政党から庶民が離れたのは、左派政党の責任だ | クーリエ・ジャポン

それを避けるためにも「富の再分配」や「平等」、「所有権」の問題を政策の中心に据えなければなりません。経済のシステムを変えられなければ、環境問題も不平等の問題も差別の問題も解決できないわけですからね。どうすれば資産を分散化できるのか、どうやって企業の利害関係者が権力を分かち合えるようにするのか、経済のシステムの中心部に切り込まなければなりません。

経済学者トマ・ピケティ「欧米の左派政党は、イデオロギーにとらわれ、庶民階級をかえりみていない」 | 欧米はアイデンティティ政治から抜け出さなくてはいけない | クーリエ・ジャポン

う~ん、ぐう正論。おわり。
……でもそれだけじゃ寂しいし、何かを書いたら優しい誰かがさんかく位はくれるかもしれないので以下適当なお話。





ピケティ先生の指摘する「再配分に熱心ではなくなった左派政党は、それ故に庶民階級から見捨てられた」というお話について。
まぁぶっちゃけこの問題の解決って、これまで散々言及してきたように一応はリベラルを自称する僕としても、割と昔からよくある一部の「リベラル」批判の正当性を認めざるをえない、というオチにもなってしまうんですよね。
つまり、ある種の『政治手続き論』としてリベラルが、いやむしろリベラルであるが故に、かくあるまでに格差問題が放置され続けてしまう構図。
そもそも私たちが愛するリベラルな民主主義社会では――皮肉にも本邦でも毎日のように善き野党議員たちから聞かされているように――熟慮と説得によってこそ、ようやく政策や制度を変更することができるわけで。
つまり、権力行使はチェックアンドバランスによって厳しく制限されるべきである。
ところがぎっちょん我々にとって何より重要な富を再配分するというのは、当然それを持つ人たちから熾烈な反発があるわけで……。
それらを熟慮と説得()とか言いながら真面目にやっていたら、いつまで経っても問題解決が遅れるのは当然の帰結でしょう。例えばコロナ騒動あるいは戦争や天災といった非常事態のような何か致命的なイベントでもあればそれを強引に実行できる一時的なトレンドは形成できるかもしれないものの、概ね平和で安定した社会ではそれも難しい。


リベラルさを捨て独裁者にならなければ劇的な再配分は実現できない。独裁者になってはもうリベラルではいられない。
う~ん黒崎一護かな?


かくして賢き欧米の左派政党たちは、そうした実現不可能な問題が目を逸らして別の問題に取り組むことにしたわけですよ。

ここに私たちが学べる教訓があります。いま欧州や米国ではアイデンティティ政治の流れに巻き込まれていますが、これは決して必然ではないのです。政治の真の課題は社会階級や経済に関するものです。

経済学者トマ・ピケティ「欧米の左派政党は、イデオロギーにとらわれ、庶民階級をかえりみていない」 | 欧米はアイデンティティ政治から抜け出さなくてはいけない | クーリエ・ジャポン

だったら大きな問題を見て見ぬフリをして別の小さな問題に取り組んだ方がマシだよね→より利害関係者の少ない少数派たちのためのアイデンティティ政治へ。
そりゃそうだよね、善悪というよりは根本的な手続き論として、圧倒的多数派の問題を解決するよりも極少数派の不公正さを助ける方がずっと単純だもんね。

この辺は日本でも最近話題のジェンダートイレの問題なんかと同様で――もっと言えばウクライナ支援問題も割と近い構図でもある――一般市民に強い関心を持たれない問題だからこそ、成果をあげることができる。勿論それ自体は善いことではあるものの、それで庶民層の生活が楽になるわけでは絶対に無いのに。
いやまぁそうは云っても上記ジェンダートイレのように、「サイレントマジョリティーな一般市民の利害関係に触れる」というラインを越えそうになったりしてはいますけども。この超えてはいけないラインを越えずに『上手くやる』こと=弱者の味方であるとアピールできることこそが、有能なリベラル政治家であると評価されてしまう悲しき左派政党。
本来の目的についてはもう見て見ぬフリをして。



自縄自縛に陥り肝心要の再配分政策を実現できない、故にそれを目指そうともしなくなり庶民層に見捨てられた左派政党。
チェックアンドバランス? なにそれおいしいの? って開き直れたら楽だったのにね。
いやまぁトランプさんのようにマジでそういうポピュリストな政治家が、あちこちでちらほら登場してきてしまっているのも21世紀の現代政治ではあるんですけども。
自縄自縛に陥りアイデンティティ政治に逃げてしまう左派政党について。


みなさんはいかがお考えでしょうか?