同じ道を辿るアウンサン親子の功罪

「同じことを繰り返しておきながら、異なる結果を期待するとは、きっと頭がどうかしているのでしょう」byアインシュタイン




ミャンマー中部で仏教徒とイスラム教徒が衝突、非常事態を宣言 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで相変わらずミャンマーさんちは大騒ぎであります。そして案の定スーチーさんは沈黙を守ると。
ビルマのもめごと - maukitiの日記
まぁ以前書いたお話ではあるんです、つまるところ、そもそも何で軍事政権が力を持つようになったのかといえば、文字通り乱立する少数民族武装反乱や宗教を巡る争い(仏教国教化法案など)、その政情不安の果てに1962年にクーデターが起き後は軍事政権まっさかさまであります。
――で、翻って現在、原因となった問題はほとんどそのまま残っているわけですよね。もちろん長年の政府の弾圧によって多少は磨り潰されてきたものの、しかしその恨み辛みは積み重なってより手に負えなくなっている面もある。
そもそもの原因が大部分そのままなのだから――ただ単に軍事政権を排除してみても――そりゃまた「1962年以前」に戻ることでしかない。当たり前の話ではありますよね。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130131/asi13013119390001-n1.htm
結局のところ、こうして何も出来ないスーチーさんは、別にワザと少数民族を見逃しているわけではなくて、ただ単に「打つ手がないだけ」なのだろうなぁと。その意味では彼女は特別な存在ではなく、どこまでいってもミャンマーの国内問題を解決できない大多数と同じ「ただの人」でしかなかった。彼女は裏切ったのでも変心したわけでもなく、ただ元々周囲が期待しすぎていただけだったのだと。それを無策だと批判するのもあまりフェアではない気はします。
湖畔に軟禁されていたカリスマ(らしき人)。まぁ確かに、まるで光明の見えないミャンマーの現状を見れば、なんとなく期待してしまうのも解らなくはありませんけども。


「独立の父」と呼ばれたアウンサン将軍は、ミャンマービルマ)に独立をもたらしたものの、結果としてその国家統一少数民族との武装闘争の幕を開けてしまった。
民主化の母」たるスーチーさんは、再びミャンマー民主化をもたらしつつあるものの、結果として軍事政権以前の政情不安を再び蘇らせてしまっている。
いやぁ親子そろって皮肉な運命だなぁと。彼らの理想を飲み込むミャンマーの現実。


ミャンマーをめぐる影響力競争に負けるな WEDGE Infinity(ウェッジ)
ともあれ、その一方でミャンマーという地政を巡る21世紀のグレートゲームもまた盛り上がりつつあったりする。最早内側からではどうにもならないからこそ、実はこうした外部環境の変化が――良くも悪くも――突破口になったりするんじゃないかなぁと少し思います。まぁそれって歴史が進んでいるのか巻き戻っているのか良く解りませんけども。
がんばれミャンマー