ママでなければ一体誰が「戦争を止める」のか、という大問題

そして(戦争を止めるのは)誰もいなくなった。


ということで僕がすっかり世俗を離れてSlay the Spire 2なんかを色々やっている間に、選挙が始まって終わったり、また戦争が始まって終わったりしてないとか、世間では色々あったりしたそうで。
ママは何を止めにいったのか 限界迎えた左派の反戦キャンペーン「日本は戦争したい国」 メディアウオッチ 皆川豪志
バズった「ママ、戦争止めてくるわ」 平和願う若者が忌避した皮肉 | 毎日新聞
「ママは何を止めにいったのか」産経新聞の記事、いくつか自我を出したものがあって面白い→新聞社同士で自我を出して批判し合うのは健全?それとも...? - Togetter
個人的に二重の意味で興味深いお話だと思ったのはこの「ママ戦争止めてくるわ」かなぁ。今の日本社会でそれを言うのはものすごくズレているという意味というだけでなく、意図しているのかしていないのか現代国際関係においてそれを言うのはこれ以上ないほど本質を突いているという意味で。

衆院選終盤、SNSを通じて話題になった政治的なハッシュタグ「#ママ戦争止めてくるわ」。東京新聞は投開票後の2月14日付け1面トップで大きく取り上げ、「平和バズった」「ネットで共感」などの見出しを付けてうれしそうだった。

ママは何を止めにいったのか 限界迎えた左派の反戦キャンペーン「日本は戦争したい国」 メディアウオッチ 皆川豪志

まぁ本邦では産経に限らず毎日新聞でも概ねバカにされている文脈として回収され、更にはアメリカイスラエルによるイラン空爆がほとんど同じタイミングではじまりより嘲笑されたお話ではあったようですが、ただこの『問い』自体は非常に重要な論点を示唆していると個人的に思うんですよね。


つまり、まさにその「戦争を止める」主体の不在こそが、戦争を止められず放置し続けている現代世界における無秩序状態の根幹でもあるわけで。
もう4年続いているウクライナでも、そして新たに始まってしまったイランでも「戦争止めてくる」と乗り出す人が誰も居ないのが2026年現在の国際関係であるわけでしょう。最早国連安全保障理事会が組織する国連軍も、あるいはアメリカが担っていた世界の警察官も、はたまた有志国連合すらも存在しない現代世界では、国際法違反であってももう誰も戦争を止めようとはしない。
――そう、ママ以外にはね。
この地獄のように暗い現代世界の中であればこそ、より燦然とした輝きを見せるハッシュタグ「#ママ戦争止めてくるわ」であります。戦後80年を過ぎいよいよ古い世界秩序は終わりを見せつつある。次の国際秩序及び国際法はジャパンが主導するという大号令。
――そう、ニューオーダーとはママなのである。
国連もアメリカも欧州連合や他の国際機関の誰も出来ないことをママが実現してみせるという、一歩間違えれば大言壮語という誹りを招きかねないながらも、平和を愛する私たち日本人だからこそ言わずにいられないのだ。
こうした複雑怪奇どころか八方塞がりな世界情勢を憂いて「ママ、戦争を止めてくるわ」ムーヴメントを日本発で起こしているのだとすれば、平和ケンポーを持つ平和主義国家ジャパンの面目躍如間違いなしであります。
えっ、そういう話じゃない? 
そう……、わかりました、じゃあこの話はもう終わりで。





ともあれ、最初にも書いたように「誰が戦争を止めるのか」という点は、いよいよアメリカ及び国連を中心とした世界秩序が終わりを見せつつある現代においてものすごく重い問題であるわけですよ。
――いやむしろその点こそが『次の』国際秩序の根幹を決めると言っていい。
これまでは国連そして世界の警察官を自称していたアメリカによって担保されてきた『平和()*1』が終焉を迎えつつあるということは、まぁオタクな専門家だけでなく概ね一般人にも浸透しつつある。
ママでないとすれば、一体誰が戦争を止めてくれるのか?
1945年以来の国際秩序が終わり次はどのような秩序が、そしてこれからどの位の年月を経ればやってくるのだろうか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:まぁもちろん「平和」の中身については喧々諤々の議論があったわけですけども、それでも「概ね平和」=「少なくとも戦争状態ではない」は維持されてきたわけで。

独裁的な仮想敵国よりもライバル政党の方が罪深いと考える人たち

日本もこの政治的ビッグウェーブに乗るしかない!
 

【解説】 高市首相の台湾をめぐる発言、なぜ中国を怒らせたのか - BBCニュース
ということで高市さんの発言で日中パークがどったんばったん大騒ぎだったそうで。
個人的に中国の恐喝云々はともかくとして、しかし日本国内でアンチ自民なお気持ちが行き過ぎた人たちによる、中国側の主張について肯定肯定全知全能全肯定な親中全振りに見えるような振る舞いが日本社会にまろび出ていたのが大変興味深い光景だったなぁ、と世間の片隅から観測しておりました。
「高市発言を批判するのはいいが、ライブを中止に追い込んでるのは中国政府なので、それは分けて考えないとだめ、中国の民衆と連帯するべき」菊池誠氏の訴え - Togetter
こちらのまとめの一部にも見られるような、なぜか反権力が日本の総理に向かう非常に愉快な人たちの愉快な発言ですが、実際のところこうした日本の珍風景って昨今の民主主義社会のトレンドで言うと殊更に日本特有の愚行さかというとそうでもないんですよね。いやまぁさすがに「そうだ、売国しよう」ばりに侵略者の靴を舐め自国領土割譲辺りまで言及するのはユニークすぎますけど。
 

アメリカでのトランプ旋風で見られる初期から今尚続くロシア融和傾向。ヨーロッパでの極右政党の親露傾向なんかに見られるような「仮想敵国よりもライバル政党の方が罪深いのだ」と考える人たち。まぁ日本の親中しぐさもそういう構図と同じでしょう。
だからこれって現代民主主義社会における最前線のテーマでもある『分断』と切っても切れないテーマなんですよ。それは分断の根深さの証左でもあるから。
 

しばしばエスタブリッシュメントや敵対政党を憎み悪魔化が行き過ぎるようになると、悲しいかな自由民主主義社会における一部の私たちはまさに自由である故に上記の様に独裁国家よりもワルい奴らだと自国のライバル政党を見做すようになる。
それが何を意味するのは、つまるところ『政治的分断』の帰結であります。それは単純な事実としてそうだ、という意味では無くて「自らの個人的生活を脅かす存在」として、ライバル政党の政権が――トランプの共和党風に言えば米民主党政権はロシアなんかより大きな害を我々にもたらしている、と(あくまで主観的に)確信している。*1
ただ、一つ重要なのは今回も上記では「親中全振りに見えるような」と書きましたけども、ぶっちゃけ中国(ロシア)なんてどうでもいいんですよね。ただただ憎い相手を機会主義的に思いっきり批判したいだけであって、その燃料自体は概ねどうでもいい。まぁそこに同調する外国からの情報戦・認知戦が潜り込むのがザ・複雑な現代世界でもあるんですけど。
本邦でも散々聞いたお話ですよね。「中国やロシアや、なんなら北朝鮮よりも悪辣なヒトラーアベによる自民党政権」的な言説が。
 

その意味で言うと、今回の件では首を斬ったり敵国条項を持ち出したりと皮肉にも中国があまりにも迂闊に暴走した結果、日本の政治的分断が若干和らいだとも言えるんですよね。勿論上記の様にそれでも「中国様の方が自民党よりマシ」と考える人が居る一方で、そのラインを超えるには大分難しくなったのは間違いない。結果として「仮想敵国である中国よりも裏金自民党の方が罪深いのだ」というナラティブの説得力が弱まってしまった。
日本の政治的分断を緩和してくれるなんてありがとう中国様。
 


悲しいかな民主的世界のどこでも蔓延している政治的分断と、そしてそれに燃料をくべる人たちについて。
みなさんはいかがお考えでしょうか?

*1:ここで面白いのは、一方で珍しく「しかし中国の方はライバル政党よりもヤバイ」と両党共通認識を持っている点でもある。

ペンは剣よりも(正当性が)弱し

「レジティマシーが無い人が、レジティマシーがある人を嗤う」という現代寓話。


高市早苗・自民党総裁、第104代首相に選出 憲政史上初の女性宰相 - BBCニュース
ということで紆余曲折ありながらも総裁選だけでなく首相指名選挙でも票をかき集めどうにかこうにか高市内閣爆誕したそうで。
個人的にこの苦労の多そうな数合わせ騒動を眺めていて思い出したのは、先日あった大変味わいのあるマスメディア様の面白愉快でひたすら軽薄な発言なんですよね。
「支持率下げてやる」カメラマンを厳重注意、時事通信社 他社の写真記者との雑談中に発言 - 産経ニュース
つまり、だからこそ、『ペンは剣よりも強し』はもう二重の意味で現代民主主義社会では通用しなくなっているんだなぁ、なんて。

発表によると、男性カメラマンは他社のカメラマンらと高市氏の取材対応を待っていた際、雑談で「支持率下げてやる」「支持率が下がるような写真しか出さねえぞ」と発言した。

SNSでは、ほかにも「裏金と靖国なんかでしょ」「靖国は譲れません」「イヤホン付けて麻生さんから指示聞いたりして」といった音声が拡散された。これらの発言について、時事通信社は厳重注意したカメラマンの発言ではないとしている

「支持率下げてやる」カメラマンを厳重注意、時事通信社 他社の写真記者との雑談中に発言 - 産経ニュース

この発言の是非はともかくとして、しかし「言った側」と「言われた側」の正当性という面で見るとすごく興味深いお話だと思うんですよね。
ここで軽口の対象となった民主主義社会における政治家というのは選挙という国民による直接的な審判を経てきているわけですよ。今回の高市さんの場合はそれだけでなく更に、自民党総裁選や首相指名選挙と幾度となくその審判をくぐり抜けてきた。
――ぢゃあ、上記のようなマスメディア()の人たちは一体どのような国民からの『信託』を経て来たの?
選挙を経て正当性を得てきた人たちを、何の正当性も――いやマスメディア所属という立派な()肩書だけはある――ない人たちが嗤っている。元々信頼されている人たちならセーフだとスルーできても、まぁ昨今の色々を見ればお察しで、そういう人たちがこんなことをやっていればそりゃ嫌われるのも当然だよね。


政治家もマスコミも当たり前に嘘をつく。では、まだマシな存在はどっちだろうか? という究極の二択。
政治権力であれば、ポピュリズム的だと批判されることはあっても、報道機関からの批判に対して「選挙で選ばれたのは我々だ」と究極的に反論できるんですよ。
ところが報道機関が市民から「お前たちは誰の代表なのか」という聞かれた場合、明確な答えを持ちえない。政治家を自称することは不可能でも、ジャーナリストを自称することは誰にでもできるんですよ。だからこそ彼ら彼女らにとって国民からの信頼を失うことは、皮肉なことに政治家以上に避けなければならなかった。
「公共の利益のため」なんて曖昧で抽象的な大義を掲げることはできても、それは視聴者から信頼されていることと必ずしもイコールとなるわけではない。
ましてや――まさに報道機関がしばしば政治家の『言葉』だけでは何も信頼に値しないと評しているように――その大儀だけで視聴者から信頼されるわけでは絶対にない。


現代マスメディアをめぐる中心議論ってこういうことですよね。マスコミの信頼性の低下だけで済んでいればまだ軽傷だったそれが、ついには「正当性への疑義」という致命的な死に至る病にまで侵襲してしまっている。ここまで来るとマスコミが信頼されているとか信頼されていないの次元じゃないんですよ。
これまで「ペンは剣よりも強し」と称してきた報道機関は、単純に経営的苦境による取材力や権力監視の弱体化だけでなく、同じ信頼性低下という状況に陥りながらも「選挙を経た政治家」というある種究極の正当性を有する存在に道徳的地位まで敗北してしまいつつある。
ペンは剣よりも(正当性が)弱し。
正当性を失った人たちの末路。
政治家であれば幾ら信頼を失っても、最終的には選挙を経ることで少なくとも最低限の正当性を確保できたのにね。
では元々非選出性でその権力に正当性のなかったマスメディアの人たちは、信頼を失い正当性を問われたら一体どう応えるつもりなんでしょうね?


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

日本人たちの異常な愛情 または私たちは如何にして心配するのを止めて排外主義を愛するようになったか

これまで散々『無責任なポピュリズム』に異常な愛情を注いできたんだからね。排外主義だってそら心配しなくなるよね。



〈全文〉石破茂首相が所感「戦後80年に寄せて」表明 「過去を直視する勇気と誠実さを持ったリベラリズムが大切」:東京新聞デジタル
安部談話への賛否ポジションから喧々諤々な話題となっていた石破首相のありがたいお話が出されたそうで。
……う~ん、まぁ、そうねぇ。ほぼ全面的に賛成できるお話ではあるものの、じゃあ「口から出る言葉は立派でも、実際に何を行動したのか」というよくある警句としてみると、まぁあまりにも良く出来た教訓というか典型的過ぎる寓話を残してくれたお人ではありましたよね。


ともあれ、個人的にすごい示唆的で現代日本社会に刺さるなぁと思ったのは、それに先立つ9月24日に出されていた首相の会見でも出ていた、『無責任なポピュリズム』という言葉であります。

 首相は第二次世界大戦の体験者が減る中で「国際社会は再び分断と対立に向かっている」と指摘。「全体主義や無責任なポピュリズムを排し、偏狭なナショナリズムに陥らず、差別や排外主義を許さない、健全で強じんな民主主義」の重要性を呼びかけた。

石破首相、国連総会で「本来のリベラリズム」訴え 排外主義に危機感 | 毎日新聞

令和最新版『根拠の乏しいかもしれない感情』 - maukitiの日記でも書いたように、古くは年金制度への漠然とした不信、秘密保護法への「軍靴の音」への恐怖、震災後の放射能や汚染水への不安、あるいはHPVやコロナでの反ワクチン運動など、エビデンスやデータに乏しいと批判されながらも『根拠の乏しいかもしれない感情』を恣意的に拾い上げ政治的エネルギーに変換してきた無責任なポピュリズムこそが、まぁ悲しいかな21世紀日本の日常的な政治装置でもあったわけでしょう。
だから個人的に今の排外主義のSNS的な盛り上がりがそこまで意外かというとそんなことは絶対にないんですよね。それは単純に日本人が差別的であるとか、あるいは中世ジャップランドな無法な空気から生まれるからではなくて、何を隠そう無責任なポピュリズムを政治的エネルギーとして異常な愛情を注いできた日本社会だからこそ。


私たち日本人はこれまで散々『根拠の乏しいかもしれない感情』に居場所を与えてきたのに、今更それ言うの?


かくして上記風説の一部に晒されてきた当事者としては、流行りのなろう小説ばりに「ざまぁ」や「今更もう遅い」感が多かれ少なかれ生まれているのを否定しきれない所ではあります。
それを冷笑と言われてしまっては反論できず苦しい所ではあるんですが、
「ムスリム対応の学校給食」に抗議1000件超え 誤情報がSNSで拡散、自治体は困惑 - 産経ニュース
結局JICAのキャンセル運動や上記のムスリム対応給食などに見られる今の排外主義だって、その『根拠の乏しいかもしれない感情』の矛先が移り代わってきただけ、というだけなんですよね。まぁ現代リベラル()社会的にはその被害者の属性こそが重要なのだ、と正論()言われるとぐうの音も出ないよね。一般的には権力を持つ社会的マジョリティとされる存在が、しかし『根拠の乏しいかもしれない感情』の前ではその属性は当然配慮されないモノとなってしまう。
中年オジサンというカースト最下位が被害者では問題にならなかったそれが、マイノリティというカースト上位が被害者となると問題となる、というこちらもまた身も蓋もない現代世界寓話ではあるんですけど。
私たちは法の下では平等でも、空気の下では不平等なのだ。
――しかもそれは何も日本だけという構図では絶対になくて、文字通り先進世界の潮流として。



こうした構図から言うと、石破首相の言う「過去を直視する勇気と誠実さ」というのはやはりとっても示唆的だよなぁと思うんですよね。まぁ最初にも書いたように、この談話が立派で良く出来たものであればあるほど、じゃあ実際の石破さんの政治は何であんなにもあんなモノだったの? という至極真っ当な疑問が出ずにはいられない訳なんですけども。

言うは易く行うは難し、なんだなぁ、げるを

『無責任なポピュリズム』を愛してきた私たち日本人について。
「健全な言論空間」と「他者の主張にも謙虚に耳を傾ける寛容さを持った本来のリベラリズム」が早く日本にも生まれるといいね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

「一発だけなら誤射かもしれない」問題ふたたび

やっぱり我らが朝日新聞は国際問題の本質部分に鋭く切り込む一流紙なんや!!1

 

ポーランド ロシア軍無人機の残骸見つかる NATOの対応が焦点 | NHK
ネパールやカタールだけでもどったんばったん大騒ぎだというのにポーランドまで。まぁ日本の猛暑と同じで混沌な多極化世界にすっかり慣れてしまいつつある私たち、というお話でもあるんですけども。

ポーランドは、10日朝にかけてロシア軍の無人機19機に領空が侵犯されたとして被害を調査し、無人機の残骸が見つかったと明らかにしました。ポーランドの要請を受けてNATO北大西洋条約機構の加盟国は協議を続ける方針で、今後の関係国の対応が焦点になります。

ポーランドのトゥスク首相は10日、緊急の閣議を開き、「NATO加盟国の上空でロシアの無人機が撃墜されたのは初めてだ」としたうえで、ロシア軍の19機の無人機によって領空が侵犯されたと議会で報告しました。

ポーランド ロシア軍無人機の残骸見つかる NATOの対応が焦点 | NHK

所謂グレーゾーン事態というやつだよね。相手が本格的対応をする閾値のギリギリを狙って、現状を変更しようとする人たち。
ただまぁ無人機が飛んできて実際に民家に被害があったという時点で、厳密にみれば武力行使ひいては「武力攻撃事態(日本議論風)」であるわけですよ。しかし、これを認めてしまえばNATO対ロシアな第三次世界大戦まっしぐらであります。この状況において、その武力攻撃事態と安易に認めることができるかと言うと絶対にそうじゃないでしょう。かくして実際に今回のNATOはそれを認めることはなさそうに見える。

 
ここでものすごく面白いと思ったのは、つまり――もちろん仔細に状況を見れば異なるものの――私たちネット民がこれまで散々馬鹿にしてきた2003年の朝日新聞的な結論とまぁ結局のところほぼ同じところに2025年現在のNATOが着地している、という所なんですよ。
かつての朝日新聞有事法制反対の文脈から「一発だけなら誤射かもしれない」と書いたように、今回のNATOも全面戦争を避ける為に「無人機19機だけなら誤射かもしれない」という立場を事実上採ることにした。
そんな両者の戦争を避けようという素朴で純粋な願いではありますけども、しかし皮肉なことにまさにその態度こそが相手の――この場合ロシアの狙いそのもの「ポーランド領内の施設を攻撃する計画はなかった」であり、身も蓋も無く言えば計算通りなんですよね。
 

一発だけなら誤射かもしれない」
無人機19機だけなら誤射かもしれない」
その発想自体は今回のNATOを見ても解るように、幾つかのデメリットはありながらも*1戦争回避という目的においてはまぁ真っ当な選択肢ではあるんですよ。
しかし問題は、この残酷で醜悪な現代世界においては、攻撃する側から『「一発だけなら誤射かもしれない」と考えるかもしれない』と足元を見られてしまうことと表裏一体なんですよ。そして悲しいかなその見方は概ね正しいと認めざるをえない。
つまり正気で理性を持っている私たちが「一発だけなら誤射かもしれない」と真っ当に考えてしまうそれ自体が、悪い奴らからのグレーゾーンな攻撃に意味が生まれ効果があることを証明してしまうジレンマ。ならば理性や躊躇を捨て去るべきなのか? トランプのアメリカのように?

 
狙って『誤射に見えるライン』を利用しようとする現状変更勢力たち。
今日のポーランドは攻撃だとはみなさないことにした。では、明日か明後日の私たち日本にドローンが飛んで来たらどうするんでしょうね?
 

みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:その態度って、上記NHKニュースにあるような「NATOの領土を1インチたりとも譲ることなく守り抜く」というNATOの存在意義と矛盾してない? とか。

21世紀の反権力

出版されたらベストセラーまったなし。


参政党はなぜ、かくも躍進したのか  論壇時評9月号 論説副委員長・川瀬弘至
ちょっと色々考える価値のある面白いお話だと思ったので、以前書いた令和最新版『根拠の乏しいかもしれない感情』 - maukitiの日記の参政党のお話とちょっと被るところがあるものの、以下適当なお話。

石戸は参政党を、「反グローバリズム」を掲げるポピュリズム政党と位置づける。それが参院選で躍進した理由は、「第一にテレビ出演の成功、第二に組織の拡大、第三に右派ポピュリズムの〝柔軟さ=節操のなさ〟」にあるという。

興味深いのは「第三」の理由だ。石戸は、ポピュリズムの本質は反エリート主義であり、「中心の薄弱なイデオロギー」と定義したオランダの政治学者、カス・ミュデらの学説を引用しつつ、こう指摘する。

ポピュリズム政党に体系的かつ理論的な主張はない。よく言えば柔軟に、悪く言えば節操なく様々な主張と結びつきながら『体制を揺さぶる』ところに最大の特徴がある」

参政党はなぜ、かくも躍進したのか  論壇時評9月号 論説副委員長・川瀬弘至

う~ん、まぁ、そうねぇ。
「悪く言えば節操なく様々な主張と結びつきながら『体制を揺さぶる』ところに最大の特徴がある」
というのは割と頷くしかないお話かなぁと。つまるところそれってみんな大好き反体制・反権力・反政権な運動っていうお話だよね。上記以前の日記でも書いた通り、特異点に見られがちながらやっぱり参政党って良くも悪くも日本の既存政治の延長線上にあるわけでしょう。結局のところそれは、過去の野党たちがやってきた『根拠の乏しいかもしれない感情』をテコにした、既存の権力やルールや常識の否定でしかない。


ここでその手法の是非はさて置くとして、しかしその反対野党な思想自体は概ね真っ当で誠実態度であるとも言えるわけですよ。だって権威者や権力に唯々諾々と従う方が思考放棄だし、怠惰だと批判されてもおかしくない。むしろ私たち人間というのは、良い意味でも、悪い意味でも、教育を受け知識が増えていくほど既存の権威をそもそも疑うようになっていく。だからこそ愚民化政策というのは、縮小均衡でいいならそれなりに正解の選択肢である。
ともあれ教育の普及は、その普遍的な不信感からロバート・パットナムの言う社会関係資本そして『制度』そのものへの信頼感低下に繋がっていく。権威や制度を究極的に信用しなくなった人たちがどう振舞うかは、まぁ陰謀論な人たちを見るとよく解るでしょう。
この教育がもたらすのは民主的先進社会のチェック・アンド・バランスな福音であると同時に、同じくらいほとんどどこでも陰謀論的な主張が蔓延る根本原因の一つとなっているわけですよ。皮肉なことに我々が教育を受けたことこそが。
知恵さえ無ければ神の瑕疵に気付かなかったかもしれないのにね。悲しいね。
参政党が勝ったのは、アダムとイヴが知恵の実を食べて知識を得てしまったのがあかんかったんや……。


人類史上最高到達点とまず間違いなく言えるところまで教育を受けている『衆愚』な私たち。でもそれはそのまま全方位で権威への懐疑化に繋がっていく。家長にも、教師にも、上長にも、政治指導者にも、そして神にも。
この流れは単純に高等教育の広がりだけでなく、現在のAI普及と併せて一層進んでいくでしょう。より賢くなった私たちがすることと言えば……、そう、不信感から体制を揺るがすことだね。
既に旧twitterでもちらほら見えるように、偉そうでムカつく相手の言うことのアラを捜すのにAIを利用することに躊躇いなんてあるはずがない。賢いAIが併記してくれる良かった所探しの方は見てないフリをして。


現状を見ると個人的に、AI社会がもたらす未来の一つってこういうパターンじゃないかと少し思うんですよね。AIを使って妥協的な解決策を探すんじゃなくて、ただただ問題点をあげつらい体制を揺さぶることに夢中となる愚かで悲しい生き物。一体誰がこんなやつらに知恵をつけさせたんだ。↑↑↑
比較優位やメリットが存在しているとあるオプションを設定したとして、そこにゼロサムやデメリットが存在しないなんて美味い話現実にほとんどないわけですよ。つまり、揚げ足だろうが誠実な議論だろうが問題点を挙げようと思えば(自分の知能が許す範囲であれば)幾らだってケチをつけられてしまう。いわんや無限に賢いAIをや。
教育がもたらした功罪は、ほとんどそのままAIの進歩の先と繋がるんじゃないかなって。そしてこれまでの私たち先進国の高等教育化の帰結を見る限り、AI進化で違う結果が出るとは思えない。いやもしかしたら感情がないAIならワンチャンあるかもしれない*1。知らんけど。


教育を受ければ受けるほど、私たちは既存の体制に疑問を持つようになる。
それはほとんどそのまま現状のAIが賢くなればなるほど、権威や体制や権力を揺さぶる力は大きくなる、ということでもある。
AIと反権力について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

*1:AIは「人間じゃないから」こそ説得が通じるという議論があるように

核兵器廃絶とシャーデンフロイデ

名高き『ノーベル平和賞』に値する極めて崇高な倫理的目標である核兵器廃絶運動が、潜在的に避けられないジレンマ。

 


「核兵器で国は守れない」 延暦寺で被団協・田中氏 | NEWSjp
ということで毎年恒例の季節がやってきましたけども、被爆80年という節目だし多少はね。

 天台宗総本山の比叡山延暦寺大津市)で4日、「世界平和祈りの集い」が開かれ、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の田中熙巳代表委員が「核兵器で国の安全を守ることは絶対にできない」と訴えた。

「核兵器で国は守れない」 延暦寺で被団協・田中氏 | NEWSjp

う~ん、まぁ、そうねぇ。
個人的には彼ら彼女らの平和を求める純粋な動機に不足はないのに、何故その核廃絶機運がまったく高まっていないのかを考えると、身も蓋もなく核保有国の失敗や不幸が足りないから、だとはちょっと思っているんですよね。それこそキューバ危機やソ連崩壊ではまったく足りない程度には。
だからといって「核保有国の不幸を喜ぶ」こと表立って言ってしまっては、平和の実現という純粋な目標が穢れてしまうので、まぁ大きな声では言えないんですけども。

 
ここで思考実験として面白いのは、核兵器保有国をはじめ我々日本を含む『核の傘』の下にある彼ら彼女らが概ね信じている「核兵器で国を守ることができる」は事実上証明不可能であるものの*1、しかし一方でこの被団協の方が言う「核兵器で国の安全を守ることは絶対にできない」は理論的には証明可能という点なんですよね。つまり今すぐ核兵器保有国の安全が損なわれてしまえばいい。核保有国が不幸になればいい。
だから少なくとも、どちらがより検証が可能か、という点で考えると後者であり一定の説得力があるんですよ。
核兵器の無力さえ証明されれば。
それは殆どそのまま核兵器保有国が未曽有の国難に見舞われることを――積極的にしろ消極的にしろ――想定することと同義である。
 

つまり真摯に核兵器廃絶を目指す人たちは、意識的か無意識的かはともかくとして、核兵器保有国の不幸を望まねばならないというジレンマを抱えているわけですよ。だって核兵器保有するメリットがリスクを上回っているという認識が広まると、廃絶の議論は更に説得力を失ってしまうのだから。
(社説)被爆80年の危機 核廃絶からの逆行を許すな:朝日新聞
いやむしろ機運が停滞している2025年の今だからこそ、不幸を望まなければいけない状況に追い詰められつつある。
保有国にはもっともっと不幸になってもらわねばならない。
核兵器保有によって安全保障上の危機を迎えなければならない。
核兵器で国の安全を守ることは絶対にできない」という核廃絶の願いは人道的で崇高であると言えるものの、その裏腹に「核兵器保有という戦略は絶対に失敗であらねばならない」という逆説的な意味をも同時に孕んでいる。

 
だからといって核兵器廃絶を目指す人たちが邪悪だとか言いたいわけじゃ絶対にないんですよ。
まぁ実際に他国(アメリカやロシアや中国やヨーロッパや韓国や台湾あるいは日本でも)の不幸をカジュアルに望むネトウヨあるいはリベラル()な人たちは昨今いっぱい見かけますけども、そうした人たちの内心とは絶対に同じではないという事はできます。
しかし「核兵器で国の安全を守ることは絶対にできない」という言葉の背景にある論理を考えた場合、それは結果として上記ネトウヨやリベラル()の醜悪な感情と似たようなシャーデンフロイデに帰結してしまう。

 

核兵器のメリットとデメリットについて。
保有国のほとんど全てがそれにメリットだけでなくデメリットがある事は解っているんですよ。しかし愚者な(あるいは賢者な)彼ら彼女らは、その選択による不幸になる可能性の方が低いと考えているだけ。
早くそんな核保有国たちの浅慮が裏切られてもっと不幸になればいいのにね。
 

他人の不幸を望まねばならないシャーデンフロイデな私たち。でもしかたないんだ。大きな不幸(核戦争)を避けるためには、小さな不幸で犠牲になってもらうしかないんだ。まぁその他人の小さな不幸というのは、そのまま私たち自身の不幸という意味と限りなく同義でもあるんですけど。
 

みなさんはいかがお考えでしょうか?
 

*1:これは核兵器を巡る定番の議論で、これまでの80年近くは安全だった証明できても、この先未来永劫そうであるとは絶対に言えないんだから。