戦争が社会的協調を促進した結果生まれる地獄、の一例

「敵と味方」の論理が生む天国と地獄。


フランシスコ法王 「世界は戦争状態」 - BBCニュース
あちらが(準)戦争状態というのは万人ではないにしろ、宗教原因ではないというエクスキューズは結構ポジショントークしているとは思いますけども、それ自体は少なくない人たちが同意してしまう認識だろうなぁと。
本邦もいつのまにか民主主義を無視したどくさいせいけんが出来ているらしいので、せかいはたいへんだ。

欧州でイスラム聖戦主義者による攻撃が相次ぐなか、ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は27日、世界が戦争状態にあると述べた。しかし、フランシスコ法王は起きているのは宗教戦争でないと強調し、「利益やお金、資源」をめぐる闘争だと指摘した。ポーランド訪問を前に、フランス北部で26日に起きたカトリック教会での人質事件で司祭が殺害されたことについての記者団からの質問に答えた。

フランシスコ法王 「世界は戦争状態」 - BBCニュース

ここで悲劇的というか端から見ている分には面白いというか自業自得というか、よりタチの悪い構図が生まれているのは、これが「ただの戦争」ではないという所かなぁと。批判的に言われることも多いですが、女性進出から人種差別緩和まで、技術進歩だけでなく戦争が(リベラルな方にも)社会改革をもたらしてきたのって概ね事実と言っていいでしょう。
――では今回も、現在あるヨーロッパの事態が、そんな風に更なる社会融和を生む土壌となるのか?
というと、まぁこちらも少なくない人たちが懐疑的になってしまうのが、あちらの民主主義で示されている現状であるわけで。彼らと更なる融和を図るのではなく、もう来ないで欲しい、なんて。


つまり、戦争状態だからこそ促進する社会内協調がむしろ逆方向に働いている、という現実が今のヨーロッパにある。


とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginary’s diary
ここら辺は、少し前のhimaginary先生の日記にもほとんどそのままなお話があって、

過去10年間、20近くの研究が、40ヶ国以上での調査や行動実験において持続的な強いパターンを発見した:個人が戦争の暴力に晒されると、住民参加や向社会的行動といった地域レベルでの社会的協調性は高まる。従って、戦争は個人や社会に負の遺産を数多く残すが、地域の協力や市民参加という点ではプラスの遺産をもたらすように思われる。我々は一連の実証結果を検討、総合、再分析し、別の説明を比較考察する。

とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginary’s diary

これはまぁ世間知としても良く言われるお話で、多くの人が納得する構図ではないかと思います。敵の敵は味方、危機に際して(否応なく)協力関係へ。戦争に限らず災害や、よりカジュアルに言えばスポーツなんかでも。


そもそも何故『戦争』で社会的協調が生まれるかって、そりゃ「共通の目的」が生まれることで未来を見つめ、過去を一時的にでも忘れさせてくれるから、という身も蓋もない理由なわけですよ。勝利という共通の目標の為に、過去どころではなくなり、自然と人びとは目的の為に連帯するようになる。本邦でもしばしば戦中日本の「欲しがりません」なんかが批判や揶揄の対象とされますけども、あんなの人間社会ほとんどどこでも見られる光景であるわけで。ちなみに同じ構図から大目標が見つかることで、個人で自殺率も下がったりするそうで。戦争ってすごい!
私たちは危機や緊急事態に際することで、対立する人や集団は共通の目標を見出すことができる。いいないいな人間っていいな。

戦争の暴力はとりわけ仲間内の、ないし、「偏狭な」規範や嗜好を増幅させる、という兆候がある。もしその発見が本当ならば、それが意味するのは、我々が取り上げた社会的一体性の高まりは、必ずしも広範な平和を促進するものではない、ということである。

とんとんとんからりんと隣組の経済学 - himaginary’s diary

ところがぎっちょん、そうした団結や社会的協調ってあくまで「敵と味方」に分けることで生まれるモノでもあるわけで。かくして社会内部にある亀裂は下手をすると、戦争や災害など緊急状態になると従来あった「そのラインに沿って」敵と味方として分断し固定化させてしまうことになる。
――まぁ本邦にも色々と思い出したくない過去があるように、こちらも同様に世界中ほとんどどこでも見られる光景でしょう。
この前提から考えると、今のヨーロッパでも元々多文化共生を実現できていれば今回のような危機において、更なる社会的協調を生み出すことができた未来だってあったはずなんですよ。
「我々は等しく同じ欧州市民であり、イスラム過激派とは一線を画すのだ」
今でも諦めていない人がそんな風に叫んだりしてしますけど、しかしそうした理想論とは裏腹に、現実はこれまで見ないフリをしていた亀裂に沿って『敵と味方』を分断しつつある。彼らの言う多文化共生は、実の所「相手のことに関わらない」複数単一文化主義でしかなかったから。今の欧州はその意味で、団結ドーピングとなるだけの『危機』に遭いながら、しかしそれはまったく逆に作用している。
そりゃ戦争状態と言われても不思議はないよね。。


いや、それでも元々ある「地元住民」「移民(難民)社会」のそれぞれ内部同士では高まっている言えるかもしれない。まぁそれってつまり更なる地獄への道でもあるんですが。
まさに彼らは緊急状態にあるからこそ生まれる「敵と味方」の論理で結束しつつある。果たしてその論理は彼らの社会的協調を助けるか、あるいは亀裂を更に深くしてしまうのか?


みなさんはいかがお考えでしょうか?