再び終わりの見えない泥沼にアメリカ世論は耐えられるか

ユーゴや前回イラクでも見た風景。次は「飽きる前に」終われるといいね。


そして第二次対テロ戦争へ - maukitiの日記
先日の日記の続き的なお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41727
あのイラク戦争の顛末というのは、もちろん開戦理由からしてミスがあった面は絶対に否定できませんけども、しかし同時にまた無視できないのが、結局の所アメリカ世論が終わりの見えない泥沼の戦後処理に飽き飽きした、という面もやっぱり忘れてはならないのだと思います。
――そして、だからこそ、あのオバマさんは「イラク撤退」を訴えて劇的に勝利した。
そもそも対テロ戦争というのは、長期的にならざるを得ず、同時にまたひたすら地味な戦いでもあるわけで。上記リンク先でも述べられているように、究極的には現地に最低限機能する『政府』を生み出す必要があるけども――ブッシュさんが失敗しオバマさんは投げ出したように――それは絶対に(日本やドイツのように)短期間で完成するものではない。そしてその戦いは、ひたすら続いたイラク治安維持でも見られたように死ぬほど地味で――率直に言ってしまえばミサイルが乱舞した湾岸戦争のようには――見栄えしない。あのビンラディンさん暗殺であれだけ盛り上がったのは、ああいう形でしか『対テロ戦争』の勝利感を味わえないという実際的な面もあったわけですよね。
前回イラクだけでなく、ユーゴスラビアソマリアルワンダなどでも見られた、アメリ外交政策における日常風景。
最初期こそニュース等で多く報じられ愛国心や人道的関心が盛り上がるものの、やがてそれは日々のニュースに埋もれ無関心へと後退していく。考えてみれば当たり前の話ではありますが、現地当事者たちの覚悟とテレビで見るだけの米国民の覚悟が同じであるはずもない。だからこそ米軍兵士の死体なんかが映されると途端に厭戦気分は広がることになる。ここでオバマさんが直面するのは、彼だけでなく冷戦以後の米国大統領が皆抱えてきたジレンマであるわけです。
つまり今回も、あの衝撃的な処刑動画を受けて米国世論は初期こそ劇的に盛り上がるものの、やがてその外交政策への関心は絶対に萎んでいく。そして次にやってくるのが「なぜアメリカが遠い外国の問題に巻き込まれなければならないのだ?」という、政治家たちが心底恐れる当然の疑問なのです。冷戦期にあったような決定的な構図がないからこそ、そこに外交政策の一貫性など存在しない。
そしてそれはアメリカにとっては見慣れたお馴染みの考え方でもある。故に歴代の米国大統領というのは(19世紀終わりの帝国主義時代や冷戦期という例外を除いて)いつだってそうした疑問「何故アメリカが巻き込まれなければならないのだ?」という世論と戦ってきたのでした。
イスラム国に対し、かつての共産陣営のような米国民の多数が政治的対抗を誓うような『敵』となるかというと、やっぱり疑問だよなぁと。このまま処刑動画がコンスタントに出たりしたら解りませんけども、そもそもなったらなったで困ってしまいそう。それなんて『文明の衝突』? この辺は面白い話題だと思うので今度書きたい。




話は微妙にズレますけども、昨今の日本でも『集団的自衛権』の議論に関連して「日本がアメリカの戦争に巻き込まれる」という批判が一部あったりしますけど、ここで抜け落ちている視点というのが上記のようなお話だよなぁと思ったりします。
まさに平和を愛する私たち日本は正しく「戦争に巻き込まれたくない」と思っているけども、アメリカだってそれと同じかあるいはそれ以上にそう思っているわけで。日米同盟だって同じなんですよね。日本だけが「相手の戦争に巻き込まれるのではないか?」と懸念しているわけでは絶対にない。あちらだって同じくらい日本の戦争に巻き込まれることを懸念している。
――というかそんなのヨーロッパ諸国を筆頭に、少なくとも民主主義国家であればどこの国だって同じですよ。そこに多少の形は違っていても、平和を愛し戦争を忌避する気持ちに大きいか小さいかなんてほとんど差はない。
それなのに、日本の自分たちだけが特別に平和を愛しているのだ=故に戦争を拒否するのだ感を出すのは、やっぱり一周まわって自国中心主義っぽくて生暖かい気持ちになってしまいます。それこそ集団的自衛権を認めながらも(あるいは徴兵制なんかを維持しながらも)きちんと「平和国家」として自負している圧倒的大多数の外国の皆さんに対して、まぁ死ぬほど失礼な話ですよね。




ともあれ話を戻して、

 成功の可能性を最大にするためには、どんな連合であれ団結が不可欠だ。ゆえにオバマ大統領は、これまでの在任期間には見られなかった、大統領個人による持続的な外交への関与を示す必要がある。また、米国の攻撃力に関する潜在能力を誇示しなければならない。これは各国がオバマ大統領に背を向けるのをためらうよう仕向けるために必要だ。

 しかし何より、国内問題に集中することを望んでいた大統領に必要なのは、国外においても最後までやり遂げようとする決意である。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/41727

しかしこれは「ザ・無い物ねだり」で苦笑いするしかありませんよね。初めからそれができていたらオバマさんの現状の苦労の半分くらいはなかっただろうし、ついでにアメリカ国民がそれをできていたら米国の外交政策の迷走だって半分くらいはなかったかもしれない。よくそんな迷走の責任が歴代大統領なんかに帰せられるような議論があったりしますけど、少なくとも半分くらいはそもそも「国民の声」に応えた結果迷走するっていう構図もあるのだから。
――世界最強の軍事力を持ちながら、死ぬほど飽きやすい米国世論。米国が他国と比べて殊更にバカなのではなくて、単純に選択肢があるゆえの悲劇だよなぁと。
まぁその点からすれば、やっぱりオバマさんというのは最近の米国大統領の中でもかなり異質な存在であり、同時にまたそんな国民の声に「正しく応えた」庶民的な米国大統領ということはできるのかもしれない。まさに彼は、そんなイラクを(無理矢理に)さっさと見切りをつけることでイラクから撤退したのだから。まぁその結果が現状のご覧のありさまなんですけど。


オバマ大統領の就任当初イラクにあった『戦後復興』という泥沼は、任期末期において『イスラム国』という更なる泥沼になって帰ってきた。
自業自得といえば、まぁその通りです。


さてオバマさんは、そして次期米国大統領は、もし任期中に再び「シリアやイラクで戦うのはもう飽きた!」という声が出たとき、おそらく出るだろうそのとき、一体どうするんでしょうね?