2016年版ゲーテ的喜劇

かくして魔法使いの弟子たちは箒の管理を放棄した。




シリア和平:道筋見えず 大国主導、協議に不信 反体制派、参加に転じたが - 毎日新聞
ISISによる自爆テロで60人超死亡、一方で和平協議も本格化 | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
ということでジュネーブ会議が始まったそうで。もうこれでシリア問題についてのジュネーブでの会議って三度目で、事実上1・2に続く『ジュネーブ3』なんですけども、あんまりその名称が使われない辺り前回までの失敗が無かったことになってる感があってちょっとくすっとしますよね。三度目の正直なるか。
まるでいつかの『三十年戦争』みたいなシリアの現在 - maukitiの日記
うちの日記を探ってみたら前回の2をやっていたのがちょうど2年前だそうですよ。
シリア和平会議が開幕、アサド氏の進退めぐり激しい対立 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News
しかし前回の議題が「アサドさんの処遇」だったことを考えると、順調に欧米側ポジションからすれば順調に後退――ロシアなんかからすれば逆に前進――しているっぽくて、まぁこの二年の無為無策っぷりがよく解るお話ですよね。
しかし、むしろそうした後退が意味するのって彼らの無能さの証明ではなく、むしろこの二年やっぱりひたすら無関心だったことの証明でしかないのが更にこのお話のクソっぷりを際立たせてもいるんですけど。
――そうして二年を無為に過ごしシリアでは死体を積み重ね難民を溢れさせ、ようやく妥協点を後退させた。まぁ何も成し遂げてはいないんですけど。
二年経ってもまるで成長していない私たち。
いや、少しは現実的になったのでちょっとだけマシになった、のかもしれなくはなくない。





さて置き、個人的には今のシリアの構図=味方と思って援助していたはずが四分五裂して右往左往、ってなんかゲーテの「魔法使いの弟子」な喜劇っぽいと思ったりします。人間社会に時代を超え普遍的に通用するからこそ、古典というのは古典たりうるわけだしね。

老いた魔法使いが若い見習いに雑用を言い残し、自分の工房を旅立つところから物語が始まる。
見習いは命じられた水汲みの仕事に飽き飽きして、箒に魔法をかけて自分の仕事の身代わりをさせるが、見習いはまだ完全には魔法の訓練を受けていなかった。そのためやがて床一面は水浸しとなってしまい、見習いは魔法を止める呪文が分からないので、自分に箒を止める力がないことを思い知らされる。絶望のあまりに、見習いは鉈で箒を2つに割るが、さらにそれぞれの部分が水汲みを続けていき、かえって速く水で溢れ返ってしまう。もはや洪水のような勢いに手のつけようが無くなったかに見えた瞬間、老師が戻ってきて、たちまちまじないをかけて急場を救い、弟子を叱り付ける。

魔法使いの弟子 - Wikipedia

ところがこのシリアを取り巻く現実世界において最も致命的だったのは、(代わりに戦わせようとした)箒が分裂暴走してしまったことでも、あるいは弟子が無能であったことではなくて、最後に助けてくれるはずの老師な『魔法使い』がどこにも居ないことだった。
事実上「魔法使い役」を押し付けられた国連という人たちは、せいぜい箒たちに話し合おうと提案するだけ。


かくして分裂した箒がいつまでも暴れ続けるシリア。
――止める方法は最早誰にも解らない。
こんなことなら箒に任せないほうがまだマシだったかもね。でも仕方ないよね。当時は自分でやりたくなかったんだもん。


みなさんはいかがお考えでしょうか?