陰謀論大好き!

昨日の日記書いててまた陰謀論の話してるなぁと思ったので、これまでにも適当に書いてきた反陰謀論まとめ的なお話。オッカムの剃刀とだけ書いてもいいけど、でもそれじゃ寂しすぎるので適当に書きます。

稀にしか存在しない能力だから

もちろん陰謀がまったく存在しないというわけでは当然ない。
しかし頻繁に唱えられるような陰謀論の大部分は、謀略を企てていると疑うような人びとの知的に先を見通す能力についてあまりにも過大評価しているし、同時に真に陰謀や謀略に関わっている極少数の人びとの能力を過小評価もしている。
ふつうの人々にとって、意識的に嘘をつき相手を騙す、という行為のハードルは高い。相手を騙す為に必要なのはその自らをも意識して欺く能力である。意識的な欺瞞には一定程度の心理的自己制御が必要とされるが、しかしそれを実現できる人は少ない。私たちの行動の殆どは、非反省的で非計画的なものでしかないのだから。あの時の彼がそうだったように。
だから私たちが普段見る陰謀論のようなものは実際の所、その殆どが、他人を「陰で謀る」どころか自分で自分を正当化し誤魔化し安心し満足しているという事でしかない。

とある思想家はそれをイデオロギーと呼んだ

私たちが簡単に陰謀論を信じてしまう理由のまた一つとして、よく知らない他者集団(あるいは特定個人)の内にある特殊な思想を理解できない、というものがある。
「(内部的な)問題を理解していない」「システムの外に居る」「既得権益を共有していない」そうした部外者たちには非常に異様に映る彼らの思想・観念。私たちの目には異様に映り理解できないから、しばしば、何かもっと重要な思惑があるのではないかと疑い勘繰ってしまう。


そうした他人には理解できない何かは、単に外部から見て理解できないだけであって、内部ではその集団利益に寄与する為の装置として働いている。集団内部でのみ通用する特定のイデオロギーという形で。そうしたイデオロギーは、ある集団の既得権益に奉仕することによってその集団の行為を「内向きに」正当化している。
それは内向きへの正当化であり理論であり理屈であるから、故に外部からは理解できない。同時に何か裏があるのではないかと考えてしまう。
しかし実際にそこにあるのは、ほとんどの場合、彼らは彼ら自身の利益の為に外部には理解できないイデオロギーに従っているだけの話である。何か巨大な陰謀や謀略というのではなく。

よく解らないモノだからこそ怪しむ

結局の所、(個人内部にしろ集団内部にしろ)あるイデオロギーを信じているということと、偽り・欺瞞・プロパガンダ・そして謀略といったこととは区別して考える必要がある。
もしかしたらそうした人びとがまさに「陰謀論的」に間接的に利用されているということは当然あるかもしれない。しかしそれと彼ら自身が意図し率先して謀略を組んでいることとはイコールではない。嘘をつくということは本人がそれを認識しているということであるが、実際には彼らには嘘をついていると自覚はなく、単にそれを信じているだけである。


だが私たちはそれを見て、他者の依拠しているイデオロギーの正当性を(まさに他者であるが故に)信じられない。何故そんなものを信じられるのか? と。
そしてそうしたイデオロギーは建前や隠れ蓑であり、何か裏があるのではないか、何か陰謀があるのではないか、と簡単に考えてしまう。


私たち自身もそうであるように、大抵の場合は、私たちは私たち自分自身が各々都合のいい何かを信じているに過ぎないのに。