資本主義は二度死ぬ

一度目は1929年に、そして二度目として再びそろそろ死ぬんじゃないかと疑われつつある資本主義について。


ダボス会議開幕へ、「時代遅れの資本主義」の変革求められるエリートたち 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで「資本主義は時代遅れ!」だそうです。まぁそう言いたくなる気持ちもわからなくはありませんよね。
突き詰めて言えばその怒りとは「資本主義は『私たち(特に中間層たち)』の雇用創出や生活水準の向上の為に機能しておらず、結局の所それは一部の富裕者たちだけにしか恩恵に与っていないではないか」というものあるわけです。故に資本主義は大多数の人間にとって最早時代遅れのシステムではないか? と疑われてしまう。まぁその原因はともかくとしても、多くの国で現実に失敗している以上、確かにその疑念は多くの人にとって理解できるのではないでしょうか。


といってもまぁ「資本主義おわた!」と叫ばれるのか今回がはじめてなのかというと、やっぱりそうでもないわけです。
それこそあの1929年の大恐慌から始まりそして第二次大戦の終わりごろまでには、『資本主義イコール不安定で非効率で無能である』というのがヨーロッパだけでなく世界の大部分での共通認識でした。上記のように資本主義が適切な雇用創出と生活水準の上昇をもたらすとはまったく考えられていませんでしたし、A・J・Pテイラー先生なんかは当時の空気について「それ(資本主義)を信じているものは、敗北があきらかになった党派に属しているという点でジャコバイトと変わらない」とまで書いていました。
現代に生きる私たちがその拝金主義で悪徳な金持ちを非難するのと同じようにあの時も、資本主義とは倫理的な面からも疑わしく、理想主義ではなく貪欲に訴えるものであり、そして不平等の根本原因だ、と見られていたのです。
しかし実のところ、そんな資本主義への失望感の半分が、とまでは言いませんけどかなりの部分は、対抗馬でもあったソ連型の『計画経済』こそが正解に違いないという認識に支えられてもいました。故に資本主義は間違っているのだと。その意味で、前回の状況と今回のそれは一見似ているようで微妙に異なっているわけですよね。前回のときのように、資本主義の代替案、のビジョンが明確にあるわけではないんだから。まぁ二回目たる今回は、その代替案さえないのにも関わらずただただ信頼されなくなったという時点で、その病魔はより深いのかもしれません。


今になって歴史として振り返ると、もしかしたら真の正解かもしれないと期待された――あるいは恐怖された中央計画経済という代替案は、蓋を開けてみればまぁ見事に盛大な勘違いというオチでありましたし、その資本主義の欠陥(特に人びとに必要な雇用を生み出せない)という問題にしても、ケインズ先生から始まる混合経済という修正――あるいは延命処置によって、死んだかに見えた資本主義はどうにかこうにか生き延びたのでした。
あれから80年、しかしやっぱりそのかつてあった懸念はこうして復活したのです。『資本主義への不信』という大魔王の復活です。まぁそれも当然ですよね、だって前回の時にしても完全に討伐したわけでは決してなくて、言ってみれば封印に成功しただけだったんだから。かくして「資本主義に絶望した!」と再び叫ばれるようになった現代に生きる私たちは、コラム:資本主義はなぜ人々を失望させているか=サマーズ氏| コラム| Reutersでも指摘されているように、結局次のことについて問われているのでしょう。

  • それは資本主義システムそのものに根ざしている問題なのか?
  • もしそうだとしたら、それは修正が可能なのか? あるいは代替案は存在しているのか?

ちなみに僕としては、死に掛けているのは資本主義などではなくて、むしろ民主主義政治こそが死に掛けているんじゃないかなぁと思っています。『資本主義は二度死ぬ』ではなく『民主主義は二度死ぬ』なんて。政治的安定の要石である中間層の崩壊とか云々、それはまぁ別の機会に。


ともあれ、前回の死亡宣告については、その代替案の消失とそして資本主義の修正、という二つの要因によって乗り越えることができました。では今回は一体どんな結果が待っているんでしょうね。
みなさんはいかがお考えでしょうか?