『オリンピック憲章五章五十一条三項』がもたらすもう一つの効果

「オリンピック開催場所、会場、他のオリンピック・エリアにおいては、いかなる種類の示威行為または、 政治的、宗教的、人種的な宣伝活動も認められない*1


ロンドン五輪、閉会式はブリティッシュ・ミュージックの祭典 写真13枚 国際ニュース:AFPBB News
ということで丁度一年前のロンドン暴動の時には「五輪マジヤバイ」と心配されていたロンドンオリンピックでしたが、概ね成功のうちに終わったそうで。関係者の皆さまおつかれさまでした。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35894
まぁぶっちゃけ「オリンピックによる経済効果」という幻想は崩れ去って久しいのでありますので、そうした面は最早あまり強調されなくなりましたけども、しかしやっぱりこうしてイギリスのような『多文化』の問題を抱える国にとってはオリンピックのもたらす非日常感は色々と――薬効のような一時的な効果とはいえ――メリットもあるのでしょう。

 英国人はこの国が分裂していること、二流であること、そして(現地の言葉を使えば)「a bit crap(ダメ、くずの意)」であることが、五輪によって明白になってしまうのではないかと恐れた。

 ふたを開けてみれば、ロンドン五輪はこうした英国のノイローゼのいずれにも効き目のある「デザイナードラッグ」として作用した。開催期間中は人種、階級、国家による昔からの分裂は緩和され、英国中が一つになって、とてもうまくいっているような気分になった。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/35894

こうして人種や移民や階級や地域による分裂を一時でも忘れる事ができたなら、もしかしたらロンドンオリンピックも安い買い物だと言うことはできるのかもしれません。
実際、やっぱり最近のイギリスは上記ロンドンの暴動から、スコットランド独立運動、経済危機による社会的対立、反移民感情の高まりなど、色々大変そうだったのでほんと関係者の皆さまは一息つけてほっとしているんじゃないでしょうか。ていうか改めてこうして見てみると問題多過ぎてこわい。大丈夫なのかこの国。


ともあれ、こうしたイギリスが得た遺産は、勿論それが全てではありませんけど、やっぱりそうした国内での対立を封じ込めた『オリンピック憲章五章五十一条三項』のおかげなんだろうと思います。そうした政治的宗教的人種的宣伝活動を封印したおかげで、彼らは忘れていた一体感を思い出すことができた。それが一時の気分であれ、しかしそのこと自体はやはり間違いないのでしょう。


その意味で、今後の五輪における『政治的主張の禁止』って、今回韓国の件で盛り上がっているような「国際的な政治的主張」ではなく――ていうか今までも人種差別問題での主張とかはありましたけどここまで見事に「国家間」のそれを持ち出す彼らはほんと例外というか想像の斜め上です――むしろ「国内的な政治的主張」をより抑止する為に機能するようになっていくんではないかなぁと。先進国では特に。
『オリンピック憲章五章五十一条三項』があるからこそ、国内的な問題を忘れて非日常を楽しむことが出来る人びと。まさにそれは『戦争』がもたらす非常事態と同様の機能を果たしているのでしょう。
そうした国内問題を棚上げして国家の一体性を高める事が出来る冴えたやり方。それぞれのそうした嗜好を持つアレな人たちとオリンピックが相性がいいのも頷けますよね。国威発揚は勿論だけど、同時に国家の一体感こそを求める人たち。一部の人からはものすごく反発されてしまいそうですけども。それでも戦争を求められるよりマシではあります。


ということで今後の開催国においては、そうした面がより重要な役割を果たしていくんじゃないかと個人的には予想しています。ていうかそんな国威発揚や国民の一体感の醸成以外に何が残っているのかと言われると困ってしまいますし。「国家間の争いを忘れて」というよりも「国内の争いを忘れて」楽しむ非日常の祭典へ。当然前者が完全になくなるなんてこともないんでしょうけど、しかしこれからはより後者の要素も強まっていくんじゃないかと。
そんな『オリンピック憲章五章五十一条三項』が果たす役割について。がんばれオリンピック。