誰もが必要な分だけ手に入れられたら良かったのにね。でもそんなことは当然なかった。
食料危機の可能性増大、価格高騰で=国連食糧農業機関| Reuters
ということで、各地の旱魃の影響もあって、2008年の食料危機の再来が懸念されているそうで。輸出制限による価格上昇という負の連鎖。
そうなってしまうとまたどっかで革命が起きてしまいそうですね。「労働者にパンを!」というフランス革命以来の伝統。ただそれでもそんな「革命する元気」があるだけまだマシだという見方もあって、ある程度その『不足』が振り切ってしまうと――それこそ北朝鮮のように――最早革命を起こす元気さえなくなってしまう、という構図こそがあまり表沙汰にならない真の悲劇でもあるんですけど。
米国、食料危機回避へバイオ燃料政策変更すべき=国連| Reuters
バイオ燃料の生産がもたらす環境破壊、という矛盾|WIRED.jp
――で、そうした状況を受けて、アメリカやヨーロッパさんのバイオ燃料云々が槍玉にあがっていると。あいつらが燃料にするせいで俺らの食料がなくなっている。まぁかなり正しくはありますよね。元々「意味があるのか」と疑われていたこともあって、こうした時に真っ先に批判されてしまうのは仕方ない面もあるかもしれません。ただまぁそれをやっぱり賛美していた人が少なからず居たのも事実ではありますよね。うちの国でもバイオ燃料賛美は結構言われていた気がします。
(ミクロ的には)良かれと思ってやった事が、(マクロとしては)見事にこうして裏目に出てしまう構図。
いやでも温暖化問題や化石燃料需要を減らすことを考えれば、むしろバイオ燃料推進の方が人類の長期的利益に叶っているのであって、むしろ短期的観点からそうした研究を遅らせることは近視眼的とも言えるかもしれなくて……えーいどっちやねん。難しいお話です。
FAOのシニアエコノミスト兼穀物アナリスト、アブドルレザ・アバッシアン氏はロイターに対し「2007─2008年のように事態が進行する可能性がある」と指摘。「今回は、(各国が)悪い政策を講じたり、制限することで市場介入を行わないよう期待する声がある」と述べる一方、「仮にそうした(危機を引き起こした)政策が繰り返されれば、どのようなことでも起こり得る」とした。
食料危機の可能性増大、価格高騰で=国連食糧農業機関| Reuters
ともあれ、やっぱり現代における『食糧危機』ってつまりそういうことなんですよね。アマルティア・セン先生が明確に指摘したように「飢饉は食料不足から起こるだけではなく、不平等からも起こる」のであります。別に単純に総量が足りないという理由だけじゃなくて、現代世界ではしばしば、効率的で公平な分配に失敗するからこそ、その危機は起きてしまうのだと。価格管理の失敗や流通の失敗や雇用の失敗えとせとら。その危機を防ぐ上で重要なのは政治的なシステムこそが問題なのであり、故にそれは自然災害なのではなく、人災としての食料危機なのだと。
なんか以前にも「日本の食料安全保障」云々の日記でも書いた気がしますけど、別にマルサスさん的な食料危機は起きないから問題ない、というだけでは済まない問題なんですよね。燃料資源の問題などでも同様で、こうしたお話が議論される上で毎回毎回ものすごく噛み合わない点ではありますけども。私たち日本が経験したかつての石油ショックだってまさにそういう理由だったのに。ただ「足りない」のではなくて「そこにあるのに買えない」という危機をどうやって避けるべきなのか。
特に先進国たちによるそんな資源分配の不公平さをもたらす政策について。バイオ燃料推進の政策を進める事が、結果として公平な食料資源の分配を妨げている。まぁ多分その点については正しいのでしょう。誰だって農作物を作るよりバイオ燃料を育てた方が金になるならそうするだろうし。
こうした構図は私たち日本でも他人事ではないんですよね。アメリカやヨーロッパの人々は、多少食料価格が上がっても、クリーンなバイオ燃料を使う事が正しい選択だと思っている。そして私たちは同様に、(少なくとも短期的には)多少燃料価格が上がっても、原発を止めることが正しい選択だと思っている。
それで自分自身が損をするならまさに当人の勝手にすればいいのでしょう。それでも本人たちが満足しているならやはり何の問題もありません。――では、そのツケがより貧しい人びとに「も」いくとしたら? そこで「俺たちには俺たちのやり方がある」と言い切ってしまうのも、まぁ個人的にはキライではありませんけど。
「足りるから」とか「足りないから」とかそういう問題ではなく、もしそこで「公正な分配を妨げている」なんて言われたら、一体私たちはどうすればいいのでしょうね?