「いつでもどこでも気軽にプレイ」がもたらす重症化

より「優しい世界」を目指した先にあったもの。


睡眠2時間、百万円使う…重症ネットゲーム依存 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
ということで今更ながらにソーシャルゲームのドツボに陥る人の記事がでているそうで。

若者を中心に“オンラインゲーム依存症”が深刻化している。


 「どうしてもゲームをやめられない」「高額の金を使ってしまう」などと病院に相談する件数は急増。ネット依存の専門外来を設ける病院も現れた。
届いた督促状 「まずい、2時間も寝てしまった」。午前6時。ソファで携帯電話を握りしめたまま眠っていた東京都内の男子専門学校生(19)は跳び起きると、また携帯をいじり始めた。ほとんど寝ないでゲームに没頭する日もある。

 携帯ゲームを始めたのは中学1年の頃。最初は通学中の暇つぶしだったが、次第に生活が変わり始めた。

 ゲームは原則無料だが、100〜1000円の有料アイテムを使えば、キャラクターの体力や攻撃力を高めることができる。ゲームで知り合った「仲間」から、「強いね」とほめられると心地よかった。

 高校に入ると、アルバイト代など毎月8万円前後をつぎ込み始めた。お年玉の10万円は10日間で消えた。5万円の督促状が自宅に郵送され、親に発覚した時には、既に100万円以上を投じていた。寝不足で遅刻を繰り返すようになり、体重も数キロ減っていた。

睡眠2時間、百万円使う…重症ネットゲーム依存 : ニュース : ネット&デジタル : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

えーまぁ、これってPC用のMMORPG全盛の時代から言われていたお話でもありますよね。
かなり昔の日記でも書いたお話なんですけども、従来の月額課金制=時間投入型(その量が勝負を決める)というゲームの不毛さへの処方箋として登場した、「プレイ時間の節約に」と謳われて登場したアイテム課金制=金銭投入型のゲームがもたらしたのは、まぁ見事にロクでもない世界を生み出してしまったわけであります。
つまり、かつては時間投入量だけが勝負を決めていた世界において、その登場は時間の代わりに金銭投入が必要とされるようになったのではなく、時間と金銭その両方が必要なゲームへと悪魔合体してしまったのです。
かくしてそうしたゲームで上位層を目指す人たちはより『選ばれし者』たち同士の戦いとなっている。かつてならば時間だけを犠牲にしていたそれが、今では時間と金銭の両方を生贄にしてゲームにのめり込んでいく。いやぁおっそろしいお話です。
ともあれ、何故かつてのPC用MMORPGで既に問題視されていたそれが、今回はこうして携帯用のソーシャルゲームでの「廃人問題」においては新聞の一面を飾るほどに取り上げられるようになったのか? ――まぁその回答としては一部オタクな人びとだけでなく「携帯用ということでより一般人も被害にあっているからだろう」と言っては身も蓋もありませんけども、実際その辺りなのでしょう。

でもそれだけじゃ寂しいので、以下、ソーシャルゲームにおける廃人問題に関しての個人的な見解

こうした例を見ると、よくソーシャルゲームの宣伝文句として言われていた「(携帯で)いつでもどこでも気軽にプレイ」という要素が見事に裏返っているよなぁと。
かつてのネトゲ廃人たちのドロップアウトの例なんてのは、ある意味では、話は簡単だったんですよ。だってまさに彼らはPCの前で惜しみなく時間投入する以外にやり方はなかっただから。本気でやろうとすればするほど、それは現実社会からのドロップアウトを覚悟するしかない。ニートでもできればそれはそれで良かったんでしょうけども、しかしそれをやるにもある種の前提となる環境が必要なわけで。それが無ければそもそも、現実社会で着て食べて住んでいけない。あまりにも非情な二者択一ではありますけども、しかしだからこそその行き着く先は、他人の目からも自分の目からも、解りやすく明示されてもいたのです。「ネトゲ廃人やめますか? 人間やめますか?」という文句はそれなりに正しい。
その後に生まれたソーシャルゲームの登場はその制約を劇的に解放してしまったのです。PCの前に張り付くなんてしなくても(多少の時間と)携帯さえあれば容易にプレイできてしまう。そのゲームにはまっていく人たちは――おそらくは幸福なことに――かなりの部分で現実の生活と両立できてしまう。確かに上記PC用ネトゲと比較して、それはそれで素晴らしい世界ではあったのでしょう。
ところが、なまじ「現状を維持できてしまう」からこそ、状況は見えないままどこまでも悪化してしまうことに。よく話のネタとして「人間は痛覚があるからこそ、病気や怪我が悪化する前にそこに気付く事ができるのだ(痛みがないからこそ怖い)」なんてお話がされたりしますけど、構図的にはそれに近いじゃないかなぁと。
まぁ究極的に行き着くところはどちらも一緒だろう、というのは確かにその通りであります。ただ、その罠に陥りやすいのはやっぱり「優しくできている」ソーシャルゲームの方ではないかなぁと思う次第であります。


もう一つの要素としては、こちらもよく言われるお話ではありますけども、ソーシャルゲームの「決済の簡単さ」こそが非常に大きいのでしょう。
僕なんて学生時代は毎回毎回コンビニに走ってwebマネー*1買っていたというのに、今はボタン一つだなんて。やっぱりそうしたクッションは大きいのではないでしょうか。かといって、わざわざ不便にするような対応を携帯側や運営側の人がするかというとそれもありえないので、年寄りの戯言という辺りで一つ。
いやぁ文明の利器ってこわいなぁ。今ならルソーさんの気持ちが少しだけ解ります。

*1:コンビニで買える電子通貨。当初はローソンだけでした。ウェブマネー - Wikipedia