60年以上経ってもまだ答えが見つからないイギリス

チャーチル先生以来今も尚悩み続ける人たち。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36958
ということで何かまたメンドくさいことになっているイギリスの人たちであります。大陸=欧州連合との距離感を、その誕生以来ずっと悩み続けながら未だに答えが見つからない人たち。一体いつまで悩んでいるんでしょうね。
それこそ2002年のブレアさんの頃なんて「ユーロ加入に関する国民投票」のタイミングを窺っていた彼らが、その10年後である2013年の現在ではまさかの「欧州連合脱退に関する国民投票」を窺う羽目に。たった10年でご覧の有様ですよ。時代の流れってやっぱりコワイ。


さて置き、リンク先でも言及されているアメリカから「おいEU脱退とか勘弁してくれ」と苦言を呈されたイギリスさんちだそうですが、この辺りのお話は、実はアメリカにしろイギリスにしろどちらも同じ構造を抱えていて、とても愉快な相似だなぁと思うんですよね。
つまり、アメリカは伝統的な「小さな政府主義者」という少なくない有権者たちの政治的影響力を無視できない一方で、イギリスさんちもまた伝統的な「小英国主義者」という少なくない有権者たちの声を無視するわけにはいかなわけです。さすがアメリカとイギリスには切っても切れない縁がありますよね。
こうした二国を端から見ている私たちからするとどうしても「一体なんでそんなことになっているのか?」という感想にならざるを得ませんが、しかしやっぱり当事者たる彼らにとっては「なるべくしてなっている」という構図に近いのかなぁと思ったりします。我らが日本でも、当事者ではない第三者が端から見て「何でそんなバカなことになっているの?」という似たようなことは結構あったりするのだろうなぁと。


それでも彼ら『イギリス』という国の歴史の大部分を占める伝統的アイデンティティの危機、という見方は出来るのかもしれません。身も蓋もなく言えば、まぁやっぱりイギリスと言えば世界でも屈指の偏屈どもの巣窟なので仕方ないとも言えるしれませんが。

 EU懐疑派はマーガレット・サッチャー元首相を英雄視している。

 サッチャー元首相は確かに、連邦制の超国家というEUの未来を描く人には厳しかった。だが、表向きの発言の裏では、英国の国益に関する冷徹な見解を貫いていた。EUの政治的な性質も理解していた。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/36958

ただまぁサッチャーさんの例を挙げてしまうと、フォークランド戦争で英雄となった『鉄の女』『女男爵』サッチャーさんを政治的に殺すことになった要因の大きな一つもまた、そんな「欧州連合との距離感」でもあったわけで。右側に寄り過ぎてバランスを失ってしまった彼女。あの時代からイギリスにとっては扱いが難しいデリケートな問題なのだろうなぁと。


欧州連合構想の父たるチャーチルさんなんかが「付くのか」「離れるのか」明確に答えを出してくれていれば良かったのにね。しかし偉大な戦略家だった彼でさえ、そこに明確な方針を公的に打ち出したりしなかった。
大英帝国崩壊以後のイギリスにとって、現代まで続く最も重要で根本的な国家戦略について。
大陸に寄り添うべきなのか? 離れるべきなのか?
やっぱりそう簡単に答えは出ないのでしょうね。世界地図を見るとかなり似たポジションにありながら、中国の決定的な台頭によってほぼ選択肢のない私たち日本と比較すると、何か遠いお話だなぁと思ってしまう所ではありますが。