あの時『欧州憲法』を批准しておけば、という彼らの後の祭り

手元にあるのは『伝家の宝刀』過ぎて抜けないNATOというカードだけ。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40208
なんか似たようなことをユーゴ危機の後にも、「アメリカが居なければ、あまりにもヨーロッパは無力すぎる」なんて言っていた気がします。

 しかし突然、文字通り一夜にして、ロシアのクリミア占領は欧州の高級官僚たちを、EUが国際問題で一流プレーヤーになれるという事実に目覚めさせたようだ。ロシアがEUを戦略的な脅威と見なすのであれば、自分たちにせめてできることは、EUを同じように見ることだ――。欧州出身の外交官たちが突如、こう口にしている。

 「EUが他のあらゆる事案でやっているように、退屈な実務作業としてこれができたはずだと想像するだけだったら、できなかったことは意外ではないはずだ」。ブリュッセル駐在のあるベテラン外交官は、危機以前のウクライナに対するEUのアプローチについてこう語る。「政治から政治を丸ごと取り除くことはできない」

 ロシアによるクリミア占領以降、ブリュッセルでの密室での討議に携わっているEU高官らは、いくつかの加盟国には依然として狭い、散漫な短期主義の兆候が見られると言う。だが、大国は次第に、たとえ自国の短期的な痛みを犠牲にしてでも長期的な目標のために力強い集団行動を呼びかけるようになったという。これはまさに戦略的思考の定義そのものだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/40208

そもそも、こうした「力強い集団行動」を実現するための手段であったのが、あの『欧州憲法』批准であったわけですよね。欧州連合外交政策である政府間主義=事実上の全会一致制度から、脱却しようとする画期的な試み。それこそ国連がそうであるように、欧州連合も参加者が多すぎて事実上外交では何もできない、という現状の根本原因はそこにあるわけで。
――まぁそんな欧州憲法は2004年に(フランスなどの国民投票による反対で)見事にぽしゃったんですけど。
ということで、まずは欧州憲法の批准からこそ、始めるべきなんですけども……欧州経済危機を経た現状ではどう見ても無理そう。おわり。


ともあれ、ただまぁ今回のこのヨーロッパさんちの「付け足し」な構図をより悲劇的にしているのは、頼みの綱であった『NATO』が事実上機能不全を起こしている面によるところが大きい思うんですよね。
もちろんNATOの行動も上記欧州連合外交政策と同様「全会一致主義」であるわけですけども、こちらはアメリカが圧倒的な存在感を持つ故に、相対的にはまだマシな状況ではある。故にほとんど機能しない欧州連合を使うよりは、むしろNATOを利用することでその代替となってきた面は確かにあったのです。
ところがぎっちょん、今回のウクライナのような危機で『NATO』を動かしてしまえば、それはもうロシアさんちとの全面戦争を意味してしまう。
リビアアフガニスタンユーゴスラビアなどでは通用したやり方が、その集団安全保障にとっての宿敵を相手にしてはシャレにならない。だからこそアメリカもヨーロッパもこのカードを切れるわけがなく、つまりそれはロシアの軍事介入に対抗しての欧米による軍事的オプションがまったく選択肢に上がらない現状でもある。
この辺あまりにも威力が大きすぎて使えない核兵器のような構図っぽくて愉快な気持ちに。
だからこそ核兵器のような兵器「だけ」持ってても必ずしも自国の安全保障戦略には役に立たない。現実世界では強力すぎるカードは決して万能じゃない。こうした伝統的なバランスオブパワーな世界では、相手に出方に合わせてそれを抑止し均衡するだけのカードを適宜出す必要があったのに、しかし現状の欧州連合ではそれすらできない。




根本的にアメリカにやる気がなく、かといって自分たちだけでは組織構造上有効な戦略的外交政策を採ることができず、唯一あるNATOも使うことは論外であり、かくして右往左往することしかできない欧州連合。ほんともうどうしてこんなになるまで放っておいたんだ感がすごい。
ちなみに、NATOと同様に世界最強のカードの一つである『日米安全保障条約』に頼る私たち日本も、実はこの辺り同じジレンマを抱えているんですよね。もちろんそのカードは強力無比ではあるんだけど、だからこそ使いどころが難しい。今回のような「軽度の」危機に際したとき、ではそれ以外に相手に対して抑止力=均衡状態を作り出せるだけのバランスの取れた戦略的な外交政策が取れるのかというと、まぁ以下略であります。




私たち日本にとっての他山の石としても、がんばれ欧州連合