移り気な政治家を生む移り気な有権者

「(政治家は)ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、有権者と同じようになられた」なんて。



オバマブームが夢のあと - maukitiの日記
昨日の日記の続き的なお話。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42115
とは言うものの、やっぱりこうした政治状況――ワシントンが二極化が進み分裂してしまった状況というのは、何も政治家だけの責任では決してないわけですよね。政治家が分裂しているということは、ほとんどそのまま有権者が分裂している、という意味でもあるわけで。

 ピュー・リサーチ・センターの調査では、「一貫して保守的」な米国人の73%が11月4日に投票する可能性が高く、一貫したリベラル派は58%であることが分かった。だが、「一様でない」見解を持つ人たちの間では、わざわざ投票所に足を運ぶ人は25%程度だという。

 一言で言えば、これが、民主、共和両党が極端な思想を持つ有権者の歓心を買おうとしている理由だ。両党の戦略は、無党派層の票を得ようとすることよりも、外に出かけて投票するよう自党支持者を駆り立てることに依存している。多くの場合、これは自党を支持する有権者に、相手方に関する恐ろしい話を吹き込むことを意味する。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42115

まぁ素朴に納得できる当たり前の話ではあります。そりゃ政治家も彼らの言うことを聞いてしまいますわ。
民主主義政治における「せいぎ」ってなぁに? - maukitiの日記
これまでうちの日記でも何度も書いてきたように「だからこそ」民主主義政治においてはしばしば少数派が勝利することになるんですよ。政治活動に熱心な少数派に対して、多数派が無関心に陥った時にこそ、少数派は勝利する。ただ現代になって急に中道派有権者が無関心になったのかというと、必ずしもそうではないのです。


冷戦終わり90年代に入るようになると、これまであった東西対立や経済成長のような政治を動かす『大きな物語』が消失し、個々の社会問題や文化問題がより大きな重みを持つようになっていく。もちろんそれはそれで重要なお話ではあるんですが、だからといって、必ずしも世論の広範な支持を得られるわけではない。
例えば同性愛者問題や中絶問題や銃規制問題や海外の人権問題などなど、仮に世論過半数50%以上の支持があるからといっても、一気にそれを改革したり行動できるかというのとはまったくの別問題でしょう。それでは残りの50%以下の少数派の意見は(仮にその改革が正義だとしても)まったく無視していいのか、という話になってしまう。故にこうした争点に取り組むには且つ反対派と真正面から戦っていこうとするだけの長期的な覚悟が必要なんですよ。
――それは政治家にとってという意味でもあるし、そして有権者としても。
ところがそうした争点がプライムタイムでニュース番組で取り上げられると風船が膨らむように一時的にカジュアルな世論は盛り上がるものの、また次の日には別の問題がニュースとなると昨日まであった空気は途端に萎んでいく。そんな風に日替わりで重要問題が入れ替わる状況で、上記のような本気で粘り強い長期的な取り組みがなされるはずありませんよね。


もちろんそうした日々のニュースこそが本来無関心であった有権者たちの関心を呼び起こすことは事実でしょう。有権者は知らないよりも知った方がいい。確かに正論であります。ただそれはやっぱりその場の関心でしかないんですよね。移り気な有権者たち。そして政治家たちはそんな有権者世論調査の声を、まさか無視するわけにもいかない。乗るしかないこのビッグウェーブに。

言葉が重要。オバマは弁護士として揚げ足を取られない言葉遣いをする十分な経験を持つはずだ。その彼があまりにあからさまな物言いを続け、自分で威信を損ねている。彼は全国民に対し、オバマケアは誰もが 「自分の医者を持つ」ことができると確約した。しかし、現実は違った。彼は、もしシリア大統領のバッシャール・アサドが 「最後の一線」 を越えて化学兵器の使用に踏み切れば、アメリカはこれに厳しく対処することになる、と宣言した。化学兵器は使われたが、アメリカは何もしなかった。オバマはエボラがアメリカにやって来ることなど 「まずありえない」 と言ったが、その二週間後、ダラスで最初の犠牲者が生まれた。

オバマはどうなってしまったのか? 彼の公約を覚えているか? | ハフポスト

ところが――まさにオバマさんも失敗したように――機に敏くそんなビッグウェーブに乗ろうとしては、まぁ痛い目に遭ってしまうことも少なくない。そんな政治家によるカジュアルな関与と撤退は、確固たる政治理念などない迂闊な政治家というレッテルを頂戴してしまう。やがて一周回って再び同じネタがニュースとなるとまた盛り上がるものの、次のネタの登場によって萎んでいく。
その繰り返しの後に残されるのは、本気で賛成するという政治団体と本気で反対する政治団体だけ。
かくしてクリントン政権以降現在まで続く、民主党共和党の死ぬほど不毛な政治対立の時代へと突入していったのです。


こうした状況で有権者が政治家に不信を抱くのは無理のない話ではあるし、逆に大して本気でもない『日替わり世論』という形で政治家に圧力を掛ける有権者に政治家が不信を抱くのも無理はない話ですよね。
そして生まれる政治家と有権者の相互不信であり、先鋭化する党派対立であり、諦観した中道派は選挙に行かなくなる。
いやぁ一体どうしたらいいんでしょうね?





もちろんこの構図において有権者が「喜ぶ」ニュースを提供するメディアの責任も少なくなくて、ある意味で政治家を分裂させた有権者を生んだメディアという所まで一部言えてしまう点があるんですけども、この辺のお話を書こうとするとまた長文日記になってしまうので次回。