不幸になるべくして不幸になった人たち

不幸であることと、それが産み出す創造性のお話。


http://wiredvision.jp/news/201010/2010102623.html

こうした研究から、2つのことがわかる。まずは、われわれの感情が認識を変えるということだ。悲しみは人間の集中力と熱心さを高め、より細かなことに注意が向くようにさせる。対して幸福はその逆の効果をもたらす。(ただし、気分が良いときには「ひらめきの瞬間」(moment of insight)が出やすい傾向も20%高まる。)
2つめは、創造的挑戦の多くは、熱心さや粘り強さ、集中力を要する作業を伴うということだ。コラージュ作品を作ったり、詩を書いたり、難しい技術的問題を解決したりすることは容易なことではない。「少し悲しい気分でいること」がわれわれの創造的能力を高める場合がある理由はそこにある。

http://wiredvision.jp/news/201010/2010102623.html

へーという感じです。へー。まぁありそうなお話ではありますよね。


しかしこの話で一番凹むのは、「ただし、気分が良いときには「ひらめきの瞬間」(moment of insight)が出やすい傾向も20%高まる」という何ともやるせない話な所ですよね。
だって普段から明るい・気分の良い人よりもずっと、普段から悲しみ・気分の暗い人にとっては、その「気分の良い時の」閾値がずっと低いわけで。普段から偏頭痛持ちの人はその頭痛が無くなっただけでハッピーになるし、普段から貧乏な人は少しの贅沢で幸せになれるし、普段から不幸だと感じている人は少しの幸運で幸せだと思うようになるわけで。
恒常的にある悲しみの集中力と、偶に訪れる喜び(普段が低いだけにその振り幅は余計に大きい)の閃きによって、創造性が呼び起こされると。確かに芸術畑の人からすればそれは正のスパイラルと呼べるかもしれないけど、普通の人びとにとってはどう見てもそれって負のスパイラルに陥っていませんか感がすごい。


あと思い出したのが、

悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ』

という有名なアランさんの言葉。「悲観主義の気分」の先にあるもの。
普通の人びとが意思によってより楽観主義を目指すのに対して、しかし一部の創造性を求める人は逆のポジションを採らねばならないと。そりゃ人類の歴史上ずっと芸術家なんてひとがレアな存在であるわけですよね。
ふつう一般の殆ど全ての人はそうやって心の平穏・安心を目指しているのに、しかし彼らはそうではないと。
「鋭い刃の先端に身を置けば、血が流れるのは必然だ」と引用先本文で言ってますがまさにその通りなんでしょう。古今東西名を成した多くの作家や芸術家が、「この人たち不幸だなぁ」と思われていたのはまさに正しかった証明されてしまったと。うわぁ悲しい話。