「歴史上のよくある失敗」に陥りつつあるチュニジア

まだまだ燃えてるチュニジアさんちのお話。


チュニジア暫定政権、野党4氏が就任辞退 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
ベンアリ前大統領の親族33人逮捕 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

【1月20日 AFP】23年にわたる強権体制が崩壊したチュニジアで、ジン・アビディン・ベンアリ(Zine El Abidine Ben Ali)前大統領の親族33人が逮捕された。国営テレビが20日、報じた。
 報道によると、逮捕された親族が保有していた時計や宝石、クレジットカードなども押収された。
 ベンアリ前大統領は14日、サウジアラビアに亡命している。検察当局は19日、前大統領とその妻、および親族による違法な資産取得などについて調査を開始した。(c)AFP

ベンアリ前大統領の親族33人逮捕 写真2枚 国際ニュース:AFPBB News

こうして前政権への意趣返しが横行するのは、それこそ革命の元祖ともいえるフランス革命からある由緒正しい伝統ではありますよね。そしてそれをやりすぎたせいで失敗してしまうという、かつてのジャコバン派から受け継ぐ失敗の伝統でもあると。まぁ国民がそうしたことを多少なりとも望むことは理解できない話ではないんです。それまで特権階級に居た人びとへの正当な取立て。それを『手段』として利用するのならばまだ。けどいつしかそれが『目的』となってしまうんですよね。よくある手段と目的の逆転による悲劇。
つまり、政権継承の過程でしばしば見られる必然的で付随的な「旧政権の失態の暴露」はそれだけならまだよかったものの、しかし次第に「それこそ」が次の政権への正当性の証明ともなってしまう。
いつしか次の政権に民主的な正当性があるかどうかは問題ではなくなり、とにかく「旧政権と違うこと」さえ証明してしまえばそれで良しとされてしまう。その結果、またもや正当な政権を持つことに失敗し、再び同じような独裁体制が誕生する。それは政治家たちの資質の問題も勿論あるんだけど、それと同じ位に、国民もそう望んでしまう。今回のチュニジアのように。


一昨日書いたアルジェリアの時もそうした要素が多分にあったわけで。結構よくあるパターンなんですよね。ちなみにイスラム教が強い地域では、しばしば、その後にイスラム原理主義が勝利する事になる。といってもまぁそれはイスラム教どうこうではなく、世界中どこでも見られる現象の一つではあります。だから今回のような混乱を見て殊更にチュニジアのことをバカにすることはできない。
私たち日本だって、前回の時とにかく「旧政権と違うこと」をかなり重視して見ていたことは確かなんだから。といっても私たち日本の場合は「普通選挙」がその政権の正当性を担保してくれるので、いきなりチュニジアのようになったりはしない。
しかし、もしそうした「選挙」のような正当性の担保が普及していなかったとしたら、以降は無限ループに陥ってしまうんです。つまり延々と「旧政権と違うこと」を証明し続けるだけでよくなり、更には必然的に「し続けなくてはならなくなる」と。こうして後継者を決める為の明確なルールが無い国・組織では、その「旧政権と違うこと」を証明し続ける事によって次第にバラバラに崩壊していく。前の政権のやり方を否定して、次も前のやり方を否定して、その次もその前のやり方を否定して・・・・・・という不毛な連鎖によって。表の次は裏をやって、裏の次は表をやって、表をやったら裏をやって、アイツが俺で俺がアイツで。


というわけでがんばれチュニジア