なぜ欧州の人たちは『ユーロ』を守る事にそんなに必死なの?

ひさびさになぜなにシリーズ。まぁかなり今更な話ではありますけど、折角色々盛り上がってるのでおさらいがてらに。もちろんそれはこれまでも書いてきたようにギリシャの後に続くスペインやイタリアなど「経済的な事情からだ」とは言えるんだけど、しかしそれだけじゃなく政治的な側面もあるんですよね、というお話。


彼らがそれこそ決死の覚悟で守ろうとするユーロ通貨の一体性には、単なる通貨の役割以上の意味が込められているわけです。
それはヨーロッパに住む人々が持つ心理的な連帯感や、あるいは欧州連合への所属意識という「自分はヨーロッパ人の一員である」と意識させるための装置であり、つまり『象徴』なんです。以前の日記でも書きましたけれども、こうしたシンボルに共通意識としてコミットすることは、人びとが連帯感や一体感を醸成するためのごく一般的なやり方であります。国旗や国歌、あるいは言語が担保しているのと同様の機能を果たすことを期待されてユーロ通貨は生まれたんです。
同じユーロ通貨を使う私たちは同じヨーロッパ市民だ、と。だからこそユーロ紙幣には特定国家を連想させるような絵柄が避けて、微妙によくわからないデザインの建築物が描かれてもいる。
なので幾ら便利だからといって簡単に、例えば自国の公用語を英語に変えたりしないように、それを簡単に投げ捨てるわけにはいかない。それは彼らにとってのアイデンティティの一部を担っているものであるから。実際ユーロ導入が議論されていた頃のイギリスではまさに「自分たちのポンドは自分たちのアイデンティティの一つだからそれを捨てることなどできない」なんてことが反対理由の一つとして語られていたわけです。


ユーロ通貨の導入に尽力した欧州中央銀行初代総裁のウィム・ドイセンベルクは、当時このように語っていました。

ユーロは単なる通貨以上のものである。それはあらゆる意味において欧州統合の象徴である。

そしてまた、去年の年末にもメルケル首相が同じことを言っていたわけです。

ユーロは単なる通貨以上のものである。ユーロの破たんは欧州の破たんであり、これは非常に深刻だ。*1


結局のところ、彼らはユーロに単なる通貨以上の意味を付与した結果、逆にそれを失うことが重大なネガティブな影響をもたらすことをも同時に招いてしまっている。単に経済統合が後退するという以上の悪影響をもたらしてしまうことこそを彼らは恐れている。本来の目的だった、そしてユーロ通貨導入と経済統合はその第一歩だった、壮大な欧州連合という一つのヨーロッパ自体が後退してしまうことこそを。
「人びとの意識を一つにする為に」良かれと思ってやったことが、しかしまったく逆に込めた意味の喪失に脅える現状。いやぁ悲しいお話ですよね。


次回、じゃあ何でそもそも「なぜ欧州の人たちはそんなに『欧州連合』を進めることにこだわっているの?」に続く。かもしれない。