現代民主主義政治の一つの極致

と、されているはずのものがこのザマなんだとすると、まぁ民主主義政治の将来について色々考えざるをえないよなぁ、というお話。あるいは公選制の限界について。


大富豪5人が変えた米大統領戦、長引く共和党指名争いの裏事情 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
現在のアメリカ民主主義政治を、正しくそして端的に表したお話ではありますよね。テレビと金。その果てにあったもの。ということでもう毎回毎回やる度に増大していくアメリカ大統領選挙の選挙資金について。少し前までのオリンピックみたいですよね。まぁある種の『祭り』という意味においては正しい相似なのかもしれませんけど。


ともあれ、今回から導入された『特別政治活動委員会スーパーPAC)』はまぁ一概に否定できる物でもないと思うんですよね。現在の、というか最近までの大統領選挙戦にあったような(本人が)金持ちでなければ立候補できないという状況、を打破したその意義としては認めないわけにはいかないのだろうし。偶に日本でも同様な事が語られたりする、(本人の)資金量が戦力の決定的な差となる選挙戦、が正しいとはやっぱり言えませんよね。
それをどうにかした結果が、結局、本人の資産だけではない「(陣営の)資金量勝負」になってしまっているのはまぁ笑えないお話ではありますが。


しかしそもそも論でいけば、別に『特別政治活動委員会スーパーPAC)』があろうがなかろうが――特にテレビ普及以後の大統領選挙では――アメリカ建国の父達が意図した「理念と性質の競争」ではなくなってしまっている、という所に問題の核心があるのです。それを加速させたという点ではまぁ確かに批判される所ではあるんですが、でもなくったってこの構図は何ひとつ変わらないんですよね。
現代における民主主義政治の一つの極致である、世界に誇るべきアメリカ大統領選挙の根本的な瑕疵について。
結局のところ、選挙運動をやっていく上で、最早綱領を作ったり有権者の意見を聞いたりすることは重要なことではなくなってしまっているのです。そこで真に重要なのは、資金調達をしてより多くの電波に乗る事と、そしてイメージ戦略を担う優秀な世論調査会社とメディア・コンサルタントを雇用できるか、という点こそが勝負の分かれ目となっているのでした。
しかしそんなイメージ戦略は必然的に「相手のイメージを破綻させる」という戦略をも生んでしまったわけです。まぁ考えてみればごく当たり前の帰結ではあります。勝利する為に必要なのは、自分が強くなるというだけでなく、相手を弱らせるということでもあるわけだから。


かくしてその泥沼なネガティブキャンペーン合戦が終わることなく続いていくと。
そしてそんな不毛な争いについて、少し前にギングリッチさんが見事に(空気を読まずに)ぶっちゃけた発言が喝采を受けたりするんですよね。

「報道メディアの破壊的で悪意のあるネガティブな性質がこの国を統治することを難しくし、品行方正な人々を公職に立候補することから遠ざけている」

ギングリッチ氏元妻「不倫認めろと要求された」、米共和党予備選に影響か 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

あまりギングリッチさんに良いイメージのない僕でさえもこの言葉には、概ねそのとおりだよなぁと同意するしかありません。
結果として大統領選挙における『テレビと金』という要素は、「まとも」な人間の立候補を難しくしているのです。自らの経歴にやましい所など一点も無いと確信している人物か、あるいはそれを上手く言い逃れることに自信のある人物でしか、この構図におけるメインプレイヤーたりえないのです。今の時代に大統領になろうとすれば、それは(正しい意味での)確信犯か詭弁家になるしかないのです。
サンデル先生がその著書『民主政の不満』の中で述べているように、それはジェームズ・マディソンが意図した本来のアメリカの統治システムとはかけ離れた所にありますよね。

「社会の中にある、もっとも純粋でもっとも高貴な性質を引き出す」

本来それこそがアメリカの民主主義政治における選挙の役割であったはずなのに。高貴な性質どころか、むしろまったく正反対のものを引き出している現状。


と、ここまで書いてきたものの、では一体どうしたらいいんでしょうね?
元々は『理念と(候補者の)性質』の競争であった選挙戦は、テレビという決定的な発明によって『金とイメージ戦略』というものに取って代わられ、そして年々膨張していく資金の問題を解決することができないまま、結果的にその膨大な資金はネガティブキャンペーンに投入されていくと。
テレビに代表されるマスメディアを前提とした資金勝負は『立候補者の公平さ』と『大口献金者の影響力』のトレードオフを生んでいるのです。現在の様に前者を解決しようとした場合、普通のアメリカの国民たちはその『特別政治活動委員会スーパーPAC)』が象徴するような大口献金者の影響力に失望し、そんな大多数の一般有権者の非政治化がまた更に少数の大口献金者の影響力を増大させてしまう。失望による無関心化という、私たちもどこかで見たような負の連鎖を。
かといって単純にそれを止めたとしても、やはりそれは本人が金持ちな候補者が有利になるだけで、大して構図に変化はないのでした。だったらノーガードで殴りあいさせたほうがまだ「公平」なんじゃないでしょうか? あるいはもう一歩踏み込んでマスメディアの役割そのものを規制すべきなのでしょうか? なんて。
ほんともう一体何が良くて何が悪くてオレがアイツでアイツがオレで。


時事ドットコム:首相公選制7割が賛成=消費増税反対は過半数−時事世論調査
そんな何が良くて何が悪いのかさえ判別できないアメリカ大統領選挙を見ると、ちょっと根が深すぎて、最近また日本でもよく言われるようになった『公選制』について、僕には賛成だの反対だのとても軽々しく言うことは出来ないなぁと。
金とメディアと民主主義について。みなさんはいかがお考えでしょうか?