とある報道機関の説明責任

果たしてそれはどこまで受け入れられるか?


記者不正アクセス問題 共同・朝日がコメント  :日本経済新聞
ということで少し前に話題になっていて、うちの日記でも以前少し書いたりしました、共同・朝日さんちの不正アクセスのお話であります。
結局書類送検という所に落ち着いたそうで。まぁ単純に両者の共謀の結果、逮捕にまでいかずにこんな所に落ち着いた、というよりはむしろ少なくない人が騒いだ結果として、こうして書類送検にまで至ったのではないかなぁと。その意味では、騒動になったこと自体は無駄ではないのかもしれません。


で、そんな中でまた盛り上がっているのが朝日新聞さんちの声明の中身であります。
朝日新聞デジタル:朝日新聞記者の不正アクセス容疑について - 社会
えー、なんというか、彼らはこれを解っていてやっているのかなぁと、少し心配になってしまうほどです。法的にはセーフだし、我々報道機関の使命としてもセーフであり、このことに我々は一点の曇りもなく確信している。そりゃまぁ当事者たる貴方たちはそういうでしょうね、というしかありません。
一番目のそれが犯罪として成立するかどうかについての見解は別にいいんですよ、最終的には法の問題だから。しかし二番目以降で彼らは道義的責任にまで半ば踏み込んでいる。しばしば政治家の道義的責任がそうであるように、それを決めるのは当事者以外の第三者たちなんです。国民から見て、視聴者から見て、その行為は正当と言えるかどうか。
それなのに彼らは二番目の問題についてもあっさりと断言している、まぁものすごい自信満々であります。何故そこまで堂々と言及しちゃってるのかよく解りませんが。


――それでも、確かにこれはこれで『説明責任』を果たしていると言うことはできるでしょう。以前の日記でも書いたように『説明責任』というものは、権力者自身がその行為の正当性を説明することで、それを聞いた他の人々がその是非を判断することにあるわけです。まさに民主主義社会に生きる権力者が、最もその行動の正当性を担保できる瞬間というのは、こうしたプロセスが成立した時にあるのです。
別に自分自身で自らの正しさを抗弁した時なんかではなく、人々からその主張を許容されたときにこそ、それは成立する。故に『説明責任』というのは権力者たちがしばしば暴走に陥る「目的のためならば多少の(汚い)手段は許容される」という振る舞いにブレーキをかけることに、それなりに有効な手段であるのです。完全に綺麗事だけで物事はうまくいかないことを当然私たちは解っている上で、ある程度の汚いやり方は許容されるが、しかしそれは決して無制限ではない。
暴露された米政府の極秘個人監視プログラムの概要 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
最近話題となったNSA機密暴露の問題なんかも似たような構図にあるわけですよね。政府機関による盗聴という、明らかにギリギリなテロ対策について。しかし最高責任者であるオバマさんの説明を聞いたアメリカ市民の大半は、概ねその手法を許容している。
権力者の暴走はどこまで許されるのか? ――それは市民が決める。
それが本当に正しい制度なのかどうかはともかくとして――人々の多数意見が常に正しいなんて絶対に言えない――しかし少なくとも民主的なプロセスだと言うことはできるでしょう。


翻って今回、朝日新聞の中の人は、斯様にしてその主張の正しさを訴えた。

【2】報道機関として必要な取材であり、正当な業務行為

 刑法第35条は「法令または正当な業務による行為は、罰しない」と定めています。遠隔操作事件の捜査では、無実の人の誤認逮捕が相次ぎ、真犯人の特定が社会の重要な関心事となっていました。当該アクセスは、「真犯人」を名乗る人物が送信した犯行声明メールが実際に当該メールアカウントから送信されたものであるかどうか(第三者が犯人になりすまして送った形跡はないか)などを確認するために行った、正当な取材行為です。
 報道機関の記者が正当な取材として行った行為は、仮に犯罪の構成要件に該当するとしても、正当な業務行為として違法性を欠き、処罰されないことは判例でも明確に示されています(いわゆる『西山記者事件』での最高裁1978年5月31日決定をご参照下さい)。まして、当該アクセスは窃盗など不正な手段で当該識別符号を入手したものでも全くなく、正当な業務行為に該当することは明らかです。

朝日新聞デジタル:朝日新聞記者の不正アクセス容疑について - 社会

まぁ少なくとも僕には、なんだか「訴えた」というよりは、むしろ一方的な宣言をしたようにしか見えませんけど。
まさにその説明で、視聴者が納得すると彼らは確信している。ぶっちゃけ傲慢といってはアレですけども、しかしそれでも、こうして自らの主張を公にしたという点では評価できるでしょう。だからといってその説明を受け入れられるかどうかはまた別問題なんですけど。


ともあれ、朝日新聞の中の人は、ジャーナリズムの為ならば多少の不法行為も許される――少なくとも今回の件はその範疇にある、と主張してみせた。


さて、これを聞いて、みなさんはいかがお考えでしょうか?