『美味しんぼ 福島の真実篇』オチが楽しみだよね

ハッピーエンドは見られるのか。


美味しんぼ「健康被害」、異例のスピード抗議 大阪府市:朝日新聞デジタル
雁屋哲さん「どうして批判されるのか」 NHKニュース
ということで大盛り上がりの美味しんぼ騒動であります。まぁこの辺は「社会秩序と市民的自由のトレードオフ」や「典型的な陰謀論者にありがちな『偶然』を認めない振る舞い」などなど、色々と日記を掛けるネタではあるんですが、あんまり詰め込んでもまとめきれないので以下的を絞っての適当なお話。

美味しんぼ」の原作者の雁屋哲さんは、今月9日の自身のブログで「書いた内容についての責任は全て私にあります。スピリッツ編集部に電話をかけたり、スピリッツ編集部のホームページなどに、抗議文を送ったりするのはお門違いです」と、記しています。
また、今月4日のブログでは「私は自分が福島を2年かけて取材をして、しっかりとすくい取った真実をありのままに書くことがどうして批判されなければならないのか分からない。真実には目をつぶり、誰かさんたちに都合のいい嘘を書けというのだろうか」と主張したうえで、今月19日の発売号以降に批判に対する本格的な反論を出すとしています。

雁屋哲さん「どうして批判されるのか」 NHKニュース

うーん、まぁ、彼にとって「はなぢ」というのは科学的意味を越えた何かが付与されているのだろうなぁと。それこそ宗教的シンボルに似た身体のアザや自然物人工物に刻まれた模様に、宗教的意味を見いだしてしまう人たちように。鼻血の有無こそがすべて。
この作者のような過激な反原発支持者たちにとって、鼻血が見られることはまさに聖痕でありつまりスティグマである。そこで形而下の意味など関係ない。


でもまぁ確かに私たちは「独自の」やり方で世界のほとんどを類推してはいるのです。だって全ての情報を網羅できているわけではないのだから。基礎的な経済学モデルにおいては、関係当事者たちは必要な情報を全て持っているとされていて、故にプレイヤーたちは合理的に行動する。でも現実にはそんなことありえないんですよね。
だから私たちは行動するにあたっての足りない情報を、手持ちの知識や経験から類推で補おうとする。一つの属性を見ては、それを個別事例に当てはめて類推分析する。でもその手法は、いつか『差別』という地平にたどり着きかねない危ういやり方でもあります。
「AであることはBに違いない」なんて。
釘宮キャラを見ては「まーたツンデレお嬢様か」と類推したりする害のないものから、黒人を見ては「犯罪者に違いない」と類推したり、ラテン系を見ては「不法入国者だ」と類推したり、アラブ系を見てはテロリストの一味だと類推したりする差別的なものまで。
――ただタチの悪い後者群であろうと、別に思うだけならいいんですよ。個人的幻想と社会的幻想に乖離があることを自覚しているのならば。あるいはそれを少なくともそんな個人的な論理展開を内心にだけとどめているならば。でもそうした自覚なしに公で口に出したり態度に出した時点で、個人的幻想は社会的幻想に合致ないものとして批判されるものは当然の如く批判されるだけ。





ともあれ、この統計数字から見る情報問題というのは実は現代社会を生きる私たちにとって重要な疑問を提起しているんですよね。
この件で言えば、百歩譲って――百歩どころでは済みませんけど――仮に鼻血を出した人がほんとうに『被曝』していた時、ならば一体私たちはその事に対してどう対処すればいいのか? というのは政治的にとても難しい問題なのです。
それが一目瞭然の危険な数字だったらまだいい、もしそれが平均よりギリギリ高いレベルだったら? ただちに影響のないレベルだったら?
統計的に有意な数字が出ることと、その上でどう対処すればいいのかはまったく別の問題なのです。議論が政治的に複雑怪奇になるのはいつだってそういう時なのです。
もし仮に特定人種や年齢や性別の犯罪率が統計的に高い場合、その『特定の属性を持つ人間』を重点的に狙い撃ちで犯罪取り締まりの対象とするのは正しいのか? 「9・11」の後明らかにアラブ系やイスラム教徒たちはテロ捜査の疑惑の目が向けられたが、それは現代の市民社会として正しかったのか? あるいは日本でも在日外国人の生活保護費不正の比率がが多いと出た場合は?
もし仮に数字が出たからと言ってそのまま(差別に直結しかねない)対処をすれば――もちろん賛成する人がいる一方で――しかし批判の声が上がるのも確実です。だからこそ一般には、その是非にかかわらず(人種・性別・年齢・そして『地域』による)画一的分析をあからさまに行うのは市民社会における道徳的な観点から強い疑義がもたれているわけであります。


さて、翻って今回の件であります。福島の人びとが『被曝』していた故に鼻血を出したと作品内では主張されている。その正否はさておき、ではもし仮にそれが真実だったら、少なくともそう信じている作者はその上で一体どうしろと言うつもりなのでしょうね? まさかほんとうに健康被害が出るレベルで被曝しているならば現状のままでいいはずがない。

  • 現地の人びとをすぐさまに全員強制移住させるべきだと言うつもりなのか?
  • 現地農家の努力は無駄であり、その土地の作物は全て汚染されているので買ってはいけないとでも言うつもりなのか?
  • 福島と名の付くものはすべて忌避すべきなのか?

その意味で言えば、もしこの『福島の真実篇』というシリーズの結論部分においてなにか前向きな提案や対処の一案がなされるのであれば、まぁここまでの騒動を起こしたことについてそれなりに擁護できなくはない、とも思ったりします。もし仮にそうだったら、とフィクションで思考実験するのは必ずしも無駄なことではないでしょう。だってその提言は、実際に被曝していようがいまいが、その恐れを抱いた人たちにとってある種の救いとなると言うことはできるだろうから。


でも、その作品の結論部分において、何ら建設的な未来像を提示せずに結局ただ無責任に自身のイデオロギーによるデマを煽るだけだったら、

「鼻血をだした彼らは(健康に害が出るレベルで)被曝していたのだった。政府と東電がすべて悪い。完」

とかやったら弁明の余地なくファッキン作者のファッキン漫画を出版したファッキン編集部でファッキン出版社でしかないので、抗議して訴訟して不買して過去作品ブックオフに10円で売り払えばいいと思うよ。
――ちなみに個人的な予想としては、彼の過去作品を鑑みるに……以下略。


シリーズの完結を楽しみにしております。