不信の悪循環の果てにやってくる形式主義

ギリシャ経済の復活の成否ではなくて、数字の達成の成否しか見られない。



ギリシャ、詰めの交渉 3つのシナリオ分析  :日本経済新聞
ユーロ圏首脳、ギリシャに48時間の期限設定−合意へ譲歩迫る - Bloomberg
ギリシャ債権団、24日の会合控え改革案を分析 - WSJ
ということでギリシャ危機とヨーロッパさんちのぐだぐだ協議であります。そうね、ここを乗り切れば秋までは時間稼ぎできそうではあるので、もうそこが着地点でいいんじゃないかな感は出てるようには見えます。まぁそれってつまり何も解決してないわけですけど。もうだめねこの国。
信頼関係が失われた果てのマッドマンセオリーへと至るギリシャ - maukitiの日記
ともあれ、先日の日記でも少しだけ触れただけだったので、今回のギリシャ協議を見ていてもしみじみ思う「信頼関係のなさ」によるデメリットに陥る人たちの構図、についてのもうちょっと適当なお話。

 「合意が近いとの感触がある」。首脳会議から一夜明けた23日、ギリシャ政府の報道官は地元テレビで語った。

 ギリシャはこれまで拒んできた年金の支給開始年齢の引き上げや、付加価値税増税を盛り込んだ改革案を首脳会議で示した。突然の変わり身の背後には、ユーロ圏から凍結されている72億ユーロ(1兆円)の支援をどうしても引き出さなければならない事情があった。

ギリシャ、詰めの交渉 3つのシナリオ分析  :日本経済新聞

アルヴィン・グールドナー先生が仰っているように人間社会における『互恵主義』ってほとんどどこの文化でも多かれ少なかれ見られる規範であるわけですよ。一方が何か利益をもたらしてくれれば、もう一方はそれにお礼をする。この正の循環は、しかし一旦逆回転すると――ゲーム理論的には正しく――負の悪循環に陥ることになる。お互いにお互いを誠実なプレイヤーだと見なさなくなり、相互不信へ。
――この構図に陥ると起きるのは、形式主義的な関係が生まれることになる。
つまり、相手の意思や自由裁量を信用できない為に、どちらもその取引や協議に置いては子細な数字の大小にこそ焦点をあてた合意が重視される。今のユーロ問題で見られるように、本題であるはずの実際のギリシャ経済復活の方策とは、もちろんまったく無関係とは言えないものの、あまり直接には関係のない細々とした歳出削減策の『数字』の是非こそが話し合われることになってしまう。
ああしたユーロ債権側の手法ってまぁ端から見ているとバカげているなぁと思う人も少なくないと思うんですが、でも仕方ない面もやっぱりあるんですよね。だって彼らはもうギリシャの『誠意』を信じられなくなってしまったから。信頼関係が失われると、もう硬直的な形式主義に走るしかなくなってしまうんですよ。


ギリシャ経済復活への見通しという可能性ではなくて、細かな数字の達成の成否しか見られない。
代金支払いや債務返済をやめたギリシャ中間層 緊縮財政がもたらした厳しい調整 | JBpress(日本ビジネスプレス)
そしてその合意された『数字』に翻弄されるギリシャ国民たち。
いやぁ不毛すぎるカンケイですよね。どうしてこんなになるまで放っておいたんだ感。かくしてこれまであったような「時間稼ぎ」をすればするほど、ギリシャが緊縮策を実行しても、あるいは債権者が援助をしても、本質的な経済回復は見えないまま両者の相互不信は高まっていく。ザ・悪循環。


ギリシャを信用できない債権者たちが悪いのか、それとも信用を失うような振る舞いをしたギリシャが悪いのか。
鶏と卵なお話ではありますよね。


がんばれギリシャ