反欧米の囁き

以前からポリコレ論争が度々あったバービーが本邦でも『魔女』になるなんてちょっと出来過ぎたストーリーだよねえ。



映画「バービー」日本公式アカウント、原爆画像に対するアメリカ公式アカウントの反応を謝罪 - BBCニュース
原爆連想させる画像に「バービー」公式アカウントが好意的反応 米ワーナーが謝罪 | TBS NEWS DIG
バービー騒動、批判を浴びた制作者たちへ デーブ・スペクターさん:朝日新聞デジタル
なんか大炎上してるやつ。

原爆の開発者を描いたシリアスな歴史映画「オッペンハイマー」。種類の異なる話題作が、米国で同日公開となった。これが事の発端です。

 コロナ禍でオンラインでの動画視聴が広まり、映画館に行く人が減りました。落ち込んだ収入を回復させるため、米国の映画興行はいま「延命治療中」なんですよ。加えて、映画俳優や脚本家の組合がストライキに入っていて、宣伝活動が制限されている。

 そんな中、インパクトのある作品二つが同時に公開される。映画好きの人や映画産業で働く人は、うれしくて盛り上がっちゃったんですね。二本立てで見ようという運動「Barbenheimer(バーベンハイマー)」(「Barbie(バービー)」と「Oppenheimer(オッペンハイマー)」を組み合わせた造語)にまで発展しました。

バービー騒動、批判を浴びた制作者たちへ デーブ・スペクターさん:朝日新聞デジタル

炎上の背景としては、偶に出てくるきれいなデーブさんが分かりやすく解説してくれているのでそれを参考にするとして。


個人的には「中の人そこまで考えてないと思うよ」オチでまぁそこまで怒ることでもないとは思うんですが、一方でその配慮の無さというか無自覚さこそがむしろ問題の根底にあり一周回って現代世界の最前線のテーマっぽくてすごく面白いと思うんですよね。
その政治的正しい表現というのが、まさに文字通りの意味での「彼ら彼女らにとっての(ここ重要)」という前提が付くものであった、という割と以前から指摘されている構図について。
被爆国として身近な我々が考えているほどには、身近ではない彼ら彼女らはそのテーマを扱うことにハードルがあると考えているわけではない。


いや、別にそれだけだったらここまで大きな問題にはならなかったんですよ。
しかし現代のポリコレ世界と云うのは、まさに彼ら彼女らにとって重要な――それは日本人にとってはあちらほど(ここ重要)大きな問題となって来なかった―――問題である人種やジェンダーといったテーマについて、我々をありがたくも正しく教育していただいているわけでもありまして。
ところがぎっちょん、我々にとって重要であるテーマとは、彼ら彼女らにとってはそうでもないという身も蓋も無い事実がまた明らかになってしまった。
その普遍性を信じようとしているところに、コレがあっては大ダメージであります。
それが結局、恣意的な基準による押し付けであると思われてしまうこと自体が。


さて時は戦国、まさに前回大戦以来の激動の国際関係に陥ろうとしているこの胡乱な時代において、悲しむべきか喜ぶべきか、我々が不都合な真実に気付きつつあるこのタイミングで、まさにそのまんまな指摘を中国やロシアを中心にグローバルサウスに拡がる『反欧米』な人たちが唱えているわけでもあります。
結局のところ、彼ら彼女らの政治的主張というのは一方的押し付けに過ぎない、なんて。


ウクライナ戦争でも、皮肉にもプーチンが戦争の正統性として多用しているような欧米的価値観への反発が叫ばれる『文明の摩擦』の時代にあって、今度は原爆バービーであります。
う~ん、あまりにも出来過ぎた構図で陰謀脳としてはスピンを疑ってしまうほど良く出来た物語だよねえ。
実際今回の件でもそうだったように、我々日本人にとってあちらとの原爆の扱いの認識差というのは割とクリティカルに刺さってしまう摩擦であり断絶ではあるよね。
単純に「アメリカには原爆に落とされたのに仲良くするなんて!」と悪意を持つように仕向けるより、その無関心さを指摘される方がよっぽど可燃性が高いのは上手くやっていると逆に感心してしまう炎上劇だったなあと。
原爆バービーについて。


みなさんはいかがお考えでしょうか?
 
 

通常日記

手抜き日記。
 

 

 

 

 

 

 

  • 娘入院させ共済金詐取疑い 30回で570万円受領、母逮捕(共同通信) - Yahoo!ニュース
    • ザ・邪悪。
    • 単純にこの事件単体というだけでなく我々自称リベラルの心配としては、生活保護不正受給問題などでも同じ構図ではあるように、こうしたニュースがあまりにも邪悪すぎ故に我々の関心を引いてしまうと所謂『子供支援』へのハードルが上がってしまうという更なる地獄が待っているんですよねえ。だってこうして金の為に子供を食い物にする邪悪な母親というのは存在しているのだから、というある種の感情的な反発はあまりにも強い。その現実の物語があまりにも凄惨で劇的すぎて私たちは無視できない。

 

 

 

私たちはどこまでして生きるつもりなのか

クラスター弾は? 対人地雷は? 生物化学そして核兵器は?


クラスター弾のウクライナ供与、住民に脅威の不発率低いと米軍(1/2) - CNN.co.jp
ロシア、米クラスター弾供与に「同様の武器、使わざるを得ない」 | 毎日新聞
ということでクラスター弾の供与が決まり改めて色々と議論を呼んでいるそうで。

(CNN) 米国防総省当局者は13日までに、バイデン米政権がウクライナへの供与を決めたクラスター弾の性能を見極める試験の手法などを明らかにした。

CNNの取材に応じたもので、民間人への被害も懸念される不発率を2.35%あるいはそれ以下とすることが主要な目標になっているとした。

不発率の問題は、地雷と同様、民間人に長期的な脅威を及ぼすとしてクラスター弾の使用を国際的に禁止する動きにもつながっている。禁止している諸国は米国の同盟国やウクライナの支援国含め100カ国以上となっている。

クラスター弾のウクライナ供与、住民に脅威の不発率低いと米軍(1/2) - CNN.co.jp

個人的には「撃つと戦後ヤバイ」という事実が明確にある以上オスロ条約の人道的理想自体には共感するところではあるんですが、その一方でもう一つ明確な事実としてあるのが、対人地雷と同様に殆どの当事者(本邦の自衛隊含む)である軍や軍事専門家が明言しているように「有事にあれば役に立つ」という身も蓋もない事実でもあるわけで。
故に戦争をやる可能性がまだあるからとマジで考えて来た、時代遅れ()な国々はオスロ条約に合意しなかった。




こうした構図からこのクラスター弾供与問題って、この胡乱な現代世界に生きなければならない私たちに重要な問いを再び投げかけてきているとちょっと思うんですよね。歴史が終わっていたら問題は簡単だったんですよ。しかしそうはならず、望む望まないに関わらず大国間戦争が真面目に議論される時代となってしまった。理性的な我々は時代遅れ()な国々と同じ地平に立たねばならなくなった。
かくして現代に生きる私たちが、あたかも古代中国の「矛と盾」のようなジレンマに陥る訳ですよ。
もし仮に我々の生命財産に至上の価値があれば、その為には非人道的行為だって許されるはずではないのか。
――つまり、今話題の映画風に言えば、「私たちはどう生きるのか?」なんて。
私たちは一体どこまで「非人道的」な手段に頼って生きていくつもりなのか。


もちろん平時であればいくらだって綺麗事は言えるわけですよ。オスロ条約に参加したっていい。非人道的()な兵器はまるっとぜ~んぶみんなダメ!と主張したっていい。それこそ本邦には「軍隊に守ってもらうつもりはない」なんて言っているユニークな人たちが一部いらっしゃるわけだし。普段はその言説を割とバカにしていますけど、それはある種非人道的行為を究極までに排除した(代わりに生命財産の保護を放棄した)一つの究極の答えとしては誠実であるんですよね。
しかし、もし、今のウクライナのような事態に陥った時、あるいは隣国の台湾で似たような要求がなされた時、より当事者に近くなった私たちは同じようなことが言えるだろうか?
更により大きな非人道性を持つ兵器を要求しないなんてこと言い切れるのだろうか?
生命財産の保護と非人道的兵器使用のバランスはどのあたりに設定するつもり?
0か100かの簡単な結論で終われば話は簡単だったんですよ。しかしそのグレーゾーンのどこかで「非人道的兵器を使ってでも」と決断しなければならない。そして今回のウクライナではそれを使ってでも生きると明確に宣言している。
もう戦争なんて起きない・あやまちはくりかえされないと確信していられたらこんな面倒くさい議論避けていられたのにね。
しかしそうではなくなってしまったのだ。




ちなみに、今回の日記の元ネタであるウクライナへのクラスター弾供与問題については、割と解決は簡単なんですよ。
――クラスター弾供与に反対するのであれば、それの代わりに『非人道的ではない』武器をいっぱい送ってあげればいい。

 ウクライナを支援する国々には、ロシアと同じ土俵に乗るのではなく、国際的な法秩序を守る姿勢が求められる。クラスター弾を使い続けるロシアへの国際圧力をむしろ強める時だ。

(社説)クラスター弾 供与よりも根絶目ざせ:朝日新聞デジタル

 ウクライナの戦火がやんだとしても復興の妨げになる。自国で使われるクラスター弾ウクライナの兵士の手に握らせることが許されていいはずがない。

 クラスター弾を禁止するオスロ条約には日本を含む100カ国以上が参加する。米国、ウクライナ、ロシアは加わっていない。国際人権団体によると、ウクライナは既に旧ソ連クラスター弾を使用したという。

米のクラスター弾供与 「非人道兵器」歯止め失う | 中国新聞デジタル

それを堂々と口にしないのに反対だけ言うのはちょっと都合が良すぎるよね。
ただただクラスター弾に頼らないで済むだけの『非人道的ではない』代わりの武器をいっぱい送ってあげればそれで済むのに。その議論から逃げている典型例であります。



クラスター弾使用の是非、その先にある非人道的兵器の使用と生命財産の保護の両立について。
みなさんはどこまでして生きるおつもりでしょうか?
 
 

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  • 自転車のベルを注意喚起のために鳴らす」のってあり? - Togetter
    • なんか話題になってたやつ。個人的には今の自転車を買ってから数年一度も使ったことがないので、そもそももう付けなくていいんじゃないの派かなあ。
    • ただそれはそれとして、やっぱ「歩道の広さ」という点は確実にあって、歩道さえ広ければこの問題の9割は解決するんじゃないかな。今住んでいるところがそういう街で、次引っ越すのを躊躇う程度にはQOLに直結してる。

 
 

ウクライナ即時停戦派との距離の概算

国家が守護らねばならぬものは何か問題の先にあるもの。



ウクライナ情勢で倉田真由美氏、ロシアに睨まれていいのかと発言 - Togetter
先日の通常日記でもちょっと言及したユニークな人たちの『平和』に関するご意見ご感想について。

もし自国で戦争始まったら、「絶対勝ちたい」より「一刻も早く戦争やめてくれ」だよ。だから「頑張れよ!」と背中押しながら武器をくれる国なんか、ありがたいわけない。

まぁウクライナ侵攻以来割と言われ続けているお話ではありますよね。
ウクライナがさっさと降伏すれば良いのに戦争は終わり生命は奪われなかったのに、なんて。
う~ん、まぁ、そうねぇ……「人間が全員死ねば戦争は無くなり平和になるのに何で人間はみんな死なないの?」位の暴論だとは思いますけども、だからといってその暴論が一から十まで完全に間違っている訳でもないのがむつかしいところだよね。



実際この問題って割と近代的な国家観というか、それこそ近代政治哲学の中心テーマでもあるわけで。それがこの胡乱な現代世界においては、ロシアの蛮行だけでなく中国の台頭という意味でもまぁ割と本格的に復活してしまっている様に見えるのはやっぱり面白い出来事だとは思っていますけども。
つまり、国家とは何を守護る為に存在しているのか、について。
その意味でホッブズ的に、国家の第一の義務として生命の権利を守る事である(故にウクライナ政府は即時停戦すべきである)という意見にはやっぱり一理あるんですよ。確かにウクライナ政府が戦争を諦めればウクライナ国民が戦場で死ぬことはなくなるのだから。
――ただこうした「万人の万人に対する闘争」を脱する為の国家が専制的であればあるほど、逆に国家によって生命が脅かされる危険性があるとマジレスしたのが我々が愛するジョン・ロック先生でもあったわけで。
ということで自称リベラルとして、もし上記のようなユニークな人たちの「一刻も早く戦争やめてくれ」な平和運動に賛同する前提を付けるのであれば、個人的には「その占領国が『国民の信託』を受けているのであれば」という前提を置くかなあ。
いやまぁそんなマジレスも、ぢゃあそもそもそうした国家が侵略戦争を行うのか、という身も蓋もない事実に突き当たってしまうんですけど。



結局のところ、上記のようなユニークな人たちと、一般に即時停戦を容認できない我々との認識の違いってここにあると思うんですよね。
「ロシアという国家は被支配者の同意によって制約されているのか?」という大前提について。
まぁそれがあるならば――ブチャの虐殺からは目を逸らしながら――確かにウクライナ国民は停戦後も一定程度の平和状態を享受できる可能性が高いと言えるよね。少なくともロシアという国家がウクライナよりも国民の生命を大事にしているのであれば、まぁ確かにその即時停戦には一定程度の正当性はあると言える。
ロシア「停戦交渉開始すべき」増加 ウクライナは「徹底抗戦」 | NHK | ウクライナ情勢
上記ユニークな日本人たちはそう考えていても、戦争当事者であるウクライナ人たちはまったくそうは思ってないようですけど。
……きっと上記ユニークな日本人たちはそんなウクライナ人たちよりもずっとロシアという国家について詳しい(意味深)なんだろうなあ。
「中国、領土放棄型の停戦を提案」ウクライナ情勢で米紙報道 - 産経ニュース
ついでに、現代世界ではロシアに並んでその筆頭であろう中国が即時停戦に賛成しているのは、意図せぬ答え合わせ感あって好きなんですけど。そうだよね、ヒトラーがいる日本や欧米よりもずっとロシアや中国の方が国民の生命を大事にしてくれるもんね。個人的にそういう人たちって隣の芝の青さが極まっている感じでやっぱり面白いと思ってしまいますけど。



Q:国家が守護るべきものは何か?
A:まず生命である。
――というのはいいとして、ではその議論からもう一歩進んで、ならばその相手国はリベラルな現代国家に住む我々が暗黙の了解としている「国民の信託」によって制約された政府であろうか? という問題について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?