私たちはどこまでして生きるつもりなのか

クラスター弾は? 対人地雷は? 生物化学そして核兵器は?


クラスター弾のウクライナ供与、住民に脅威の不発率低いと米軍(1/2) - CNN.co.jp
ロシア、米クラスター弾供与に「同様の武器、使わざるを得ない」 | 毎日新聞
ということでクラスター弾の供与が決まり改めて色々と議論を呼んでいるそうで。

(CNN) 米国防総省当局者は13日までに、バイデン米政権がウクライナへの供与を決めたクラスター弾の性能を見極める試験の手法などを明らかにした。

CNNの取材に応じたもので、民間人への被害も懸念される不発率を2.35%あるいはそれ以下とすることが主要な目標になっているとした。

不発率の問題は、地雷と同様、民間人に長期的な脅威を及ぼすとしてクラスター弾の使用を国際的に禁止する動きにもつながっている。禁止している諸国は米国の同盟国やウクライナの支援国含め100カ国以上となっている。

クラスター弾のウクライナ供与、住民に脅威の不発率低いと米軍(1/2) - CNN.co.jp

個人的には「撃つと戦後ヤバイ」という事実が明確にある以上オスロ条約の人道的理想自体には共感するところではあるんですが、その一方でもう一つ明確な事実としてあるのが、対人地雷と同様に殆どの当事者(本邦の自衛隊含む)である軍や軍事専門家が明言しているように「有事にあれば役に立つ」という身も蓋もない事実でもあるわけで。
故に戦争をやる可能性がまだあるからとマジで考えて来た、時代遅れ()な国々はオスロ条約に合意しなかった。




こうした構図からこのクラスター弾供与問題って、この胡乱な現代世界に生きなければならない私たちに重要な問いを再び投げかけてきているとちょっと思うんですよね。歴史が終わっていたら問題は簡単だったんですよ。しかしそうはならず、望む望まないに関わらず大国間戦争が真面目に議論される時代となってしまった。理性的な我々は時代遅れ()な国々と同じ地平に立たねばならなくなった。
かくして現代に生きる私たちが、あたかも古代中国の「矛と盾」のようなジレンマに陥る訳ですよ。
もし仮に我々の生命財産に至上の価値があれば、その為には非人道的行為だって許されるはずではないのか。
――つまり、今話題の映画風に言えば、「私たちはどう生きるのか?」なんて。
私たちは一体どこまで「非人道的」な手段に頼って生きていくつもりなのか。


もちろん平時であればいくらだって綺麗事は言えるわけですよ。オスロ条約に参加したっていい。非人道的()な兵器はまるっとぜ~んぶみんなダメ!と主張したっていい。それこそ本邦には「軍隊に守ってもらうつもりはない」なんて言っているユニークな人たちが一部いらっしゃるわけだし。普段はその言説を割とバカにしていますけど、それはある種非人道的行為を究極までに排除した(代わりに生命財産の保護を放棄した)一つの究極の答えとしては誠実であるんですよね。
しかし、もし、今のウクライナのような事態に陥った時、あるいは隣国の台湾で似たような要求がなされた時、より当事者に近くなった私たちは同じようなことが言えるだろうか?
更により大きな非人道性を持つ兵器を要求しないなんてこと言い切れるのだろうか?
生命財産の保護と非人道的兵器使用のバランスはどのあたりに設定するつもり?
0か100かの簡単な結論で終われば話は簡単だったんですよ。しかしそのグレーゾーンのどこかで「非人道的兵器を使ってでも」と決断しなければならない。そして今回のウクライナではそれを使ってでも生きると明確に宣言している。
もう戦争なんて起きない・あやまちはくりかえされないと確信していられたらこんな面倒くさい議論避けていられたのにね。
しかしそうではなくなってしまったのだ。




ちなみに、今回の日記の元ネタであるウクライナへのクラスター弾供与問題については、割と解決は簡単なんですよ。
――クラスター弾供与に反対するのであれば、それの代わりに『非人道的ではない』武器をいっぱい送ってあげればいい。

 ウクライナを支援する国々には、ロシアと同じ土俵に乗るのではなく、国際的な法秩序を守る姿勢が求められる。クラスター弾を使い続けるロシアへの国際圧力をむしろ強める時だ。

(社説)クラスター弾 供与よりも根絶目ざせ:朝日新聞デジタル

 ウクライナの戦火がやんだとしても復興の妨げになる。自国で使われるクラスター弾ウクライナの兵士の手に握らせることが許されていいはずがない。

 クラスター弾を禁止するオスロ条約には日本を含む100カ国以上が参加する。米国、ウクライナ、ロシアは加わっていない。国際人権団体によると、ウクライナは既に旧ソ連クラスター弾を使用したという。

米のクラスター弾供与 「非人道兵器」歯止め失う | 中国新聞デジタル

それを堂々と口にしないのに反対だけ言うのはちょっと都合が良すぎるよね。
ただただクラスター弾に頼らないで済むだけの『非人道的ではない』代わりの武器をいっぱい送ってあげればそれで済むのに。その議論から逃げている典型例であります。



クラスター弾使用の是非、その先にある非人道的兵器の使用と生命財産の保護の両立について。
みなさんはどこまでして生きるおつもりでしょうか?