ウクライナ即時停戦派との距離の概算

国家が守護らねばならぬものは何か問題の先にあるもの。



ウクライナ情勢で倉田真由美氏、ロシアに睨まれていいのかと発言 - Togetter
先日の通常日記でもちょっと言及したユニークな人たちの『平和』に関するご意見ご感想について。

もし自国で戦争始まったら、「絶対勝ちたい」より「一刻も早く戦争やめてくれ」だよ。だから「頑張れよ!」と背中押しながら武器をくれる国なんか、ありがたいわけない。

まぁウクライナ侵攻以来割と言われ続けているお話ではありますよね。
ウクライナがさっさと降伏すれば良いのに戦争は終わり生命は奪われなかったのに、なんて。
う~ん、まぁ、そうねぇ……「人間が全員死ねば戦争は無くなり平和になるのに何で人間はみんな死なないの?」位の暴論だとは思いますけども、だからといってその暴論が一から十まで完全に間違っている訳でもないのがむつかしいところだよね。



実際この問題って割と近代的な国家観というか、それこそ近代政治哲学の中心テーマでもあるわけで。それがこの胡乱な現代世界においては、ロシアの蛮行だけでなく中国の台頭という意味でもまぁ割と本格的に復活してしまっている様に見えるのはやっぱり面白い出来事だとは思っていますけども。
つまり、国家とは何を守護る為に存在しているのか、について。
その意味でホッブズ的に、国家の第一の義務として生命の権利を守る事である(故にウクライナ政府は即時停戦すべきである)という意見にはやっぱり一理あるんですよ。確かにウクライナ政府が戦争を諦めればウクライナ国民が戦場で死ぬことはなくなるのだから。
――ただこうした「万人の万人に対する闘争」を脱する為の国家が専制的であればあるほど、逆に国家によって生命が脅かされる危険性があるとマジレスしたのが我々が愛するジョン・ロック先生でもあったわけで。
ということで自称リベラルとして、もし上記のようなユニークな人たちの「一刻も早く戦争やめてくれ」な平和運動に賛同する前提を付けるのであれば、個人的には「その占領国が『国民の信託』を受けているのであれば」という前提を置くかなあ。
いやまぁそんなマジレスも、ぢゃあそもそもそうした国家が侵略戦争を行うのか、という身も蓋もない事実に突き当たってしまうんですけど。



結局のところ、上記のようなユニークな人たちと、一般に即時停戦を容認できない我々との認識の違いってここにあると思うんですよね。
「ロシアという国家は被支配者の同意によって制約されているのか?」という大前提について。
まぁそれがあるならば――ブチャの虐殺からは目を逸らしながら――確かにウクライナ国民は停戦後も一定程度の平和状態を享受できる可能性が高いと言えるよね。少なくともロシアという国家がウクライナよりも国民の生命を大事にしているのであれば、まぁ確かにその即時停戦には一定程度の正当性はあると言える。
ロシア「停戦交渉開始すべき」増加 ウクライナは「徹底抗戦」 | NHK | ウクライナ情勢
上記ユニークな日本人たちはそう考えていても、戦争当事者であるウクライナ人たちはまったくそうは思ってないようですけど。
……きっと上記ユニークな日本人たちはそんなウクライナ人たちよりもずっとロシアという国家について詳しい(意味深)なんだろうなあ。
「中国、領土放棄型の停戦を提案」ウクライナ情勢で米紙報道 - 産経ニュース
ついでに、現代世界ではロシアに並んでその筆頭であろう中国が即時停戦に賛成しているのは、意図せぬ答え合わせ感あって好きなんですけど。そうだよね、ヒトラーがいる日本や欧米よりもずっとロシアや中国の方が国民の生命を大事にしてくれるもんね。個人的にそういう人たちって隣の芝の青さが極まっている感じでやっぱり面白いと思ってしまいますけど。



Q:国家が守護るべきものは何か?
A:まず生命である。
――というのはいいとして、ではその議論からもう一歩進んで、ならばその相手国はリベラルな現代国家に住む我々が暗黙の了解としている「国民の信託」によって制約された政府であろうか? という問題について。
みなさんはいかがお考えでしょうか?