「ノーモアヒロシマ」の二つの顔

 要請書は「表現の自由の視点で考えれば、いつどこで何を発言するかは自由で当然の権利」と断った上で、市民への影響が大きい田母神氏の講演は「夜明け前から心静かに死没者を慰霊する被爆者らの悲しみがいやが上にも増す」と懸念。「広島における8月6日の意味は表現の自由と同様に重要」として、日程をずらすよう配慮を求めた。

http://www.47news.jp/CN/200906/CN2009062901000777.html

元々、核兵器を持ちたがってる某国とかでは、
ヒロシマの様にならない為に核を持つべきだ」
なんて言われてるわけで。


ヒロシマ」が平和への誓いではなくて、全く逆の核兵器信仰の元となっているのは笑うところなのか泣くところなのか。
恐らく今回の田母神さんへの配慮要望はそういう事なんだろうと思う。


さて置き、しばらく前まではこんな話全く表に出なかっただろうし。
被爆者らの悲しみ」を脇におけば、こうした事を話題・議論する事は平和追求の意味ではプラスなんじゃないかと思う。
今までそれを許さずに、「配慮を求めた」どころか完全に封殺されてきたわけだから。
まぁ個人的に田母神さんの論文のアレでは微妙な気分になったし、現状は核兵器なんて議論した上で要らないと思うけど。



いやー、いつかエロゲにおける表現の自由もこんな風に「配慮を求めた」位になるんですかね!?
どちらかと言うと今回のこれとは全く逆の流れなので無理か。泣ける。