ハイチに舞う千羽鶴

ちょっと出遅れたネタ。まさかここまで盛り上がるとは予想外でした。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1391165.html


うん、すごいバカ。おわり。




だけどそれだけじゃ寂しいよね。何か適当な事言っておいたら△でも貰えるかもしれない。という事で以下駄文。

たしかに倫理的には正しい、しかし

こうした被災者達に心を痛める心境自体は、当然否定されるものではない。倫理的には正しい心の在り方と言える。倫理的には。
しかしここで考えなくてはいけないのは、倫理的であることイコール常に合理的であることでは「ない」、ということ。
少なくとも現在においては、倫理的であることは、概ね、合理的であることが確かに多い。倫理的な行動を取れば、概ね合理的であるといえる。しかし毎回どんな状況においても、イコールである、ということは絶対に言えない。よく国際政治上で語られる一部の理想主義的発想*1や、あるいは国内政治における富の再配分という意味でも、そして今回の件がそうであるように。奇麗事で全てが解決するわけじゃない。
倫理的ではあるが、合理的ではない。そんな行動が私達の社会には確かに存在する。倫理的ではないが合理的である、という話では特に。まぁそんな事は普通の大人なら誰だって解ってるはず。大人って汚いよね。


「被災者の皆さんがかわいそうなので千羽鶴を送ろう!」
例えば、小学校の道徳の時間とかだったら、これで良かったかもしれない。うん、みんなゆうきがわくね! ばんざーい! 千羽鶴ばんざーい!
しかしそうではない。今、ハイチで、現実に起きてる事はそんな世界の話じゃない。
小学生やせいぜい中高生程度までならそれでも良かったかもしれない。しかしいい大人がそんな事言うのは、まぁアレですよね。これってチャーチル先生の言葉と言われてるアレ*2を思い出します。

20才までに自由主義者でなければ、情熱が足りない。
40才までに保守主義者出なければ、知能が足りない。

そういう事なんだろうなぁ。ぶっちゃけてしまえば、いい大人がそんな事言うのは、知能が足りない。


そう言えば主催の人は何歳なんだろ? って思って見てみると、

近所の友人らに声をかけて鶴を集め、近く呼びかけ人でワクワククリエーターのみぃやさん(21)=大阪府吹田市=の元に送る意向だ。

http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/tokyo/100125/tky1001251835010-n2.htm

21歳・・・・・・、社会に出てないと思えば、ギ、ギリギリ?

バカにバカって言う事の意義

こうした場違いな純粋さや、場違いな奇麗事を語る事自体については、個人的にはまぁ別に文句はない。ただ、当然それは批判される、という状況とセットにおいてって意味で。だから今回のように2ch等の叩きたいだけって人も含めて、こうした状況はある意味健全だと思う。


かつて世間の常識に反して「それでも地球は回ってる」と言ったガリレオを迫害した「教会の論理」というものは、そういった批判を許さない社会だったわけで。かつての教会の論理による束縛と、絵空事のような奇麗事に馬鹿と言えないような社会は、殆ど一緒じゃないかと思うから。反知性主義とか言われたりしますね。
それが本当に正しい事ならともかく、バカに向かって「おいバカやめろ」と言える社会は本当に大切なんです。昔は(つい最近まで)それが許されなかった。為政者や宗教的権威に対して批判の許されない社会。まぁ今でもうちの国の近くにもいくつかありそうですね。あ、最近のうちもか。


だから、こうしたバカな事言ってる人に対して、「批判する人は心が汚れているから黙ってろ」なんていうのは、もっと危険だという事を忘れてはいけないと思うわけです。
宗教上の論理だからでも、権力者による弾圧でも、あるいは人道主義だとか優しさだからでも、そこで批判を封じてしまったらやってる事は一緒なんです。バカな事を言うのは自由です、ただし当然逆にバカって批判されるのもその守るべき自由の一端なんですよ、と。
そしてバカにバカと言えない社会がどうなるかは、まぁ歴史が証明していますよね。

*1:勿論全てがそうだとは言えない

*2:真偽不明らしいけどhttp://oshiete1.goo.ne.jp/qa798668.html