非実在青少年の同一性はどこまで保持されるだろうか?

最近話題の非実在青少年のあれ。あんまり本筋とは関係あるようなないようなお話なのでごめんなさい。


非実在青少年』の定義としてはこうあるらしい。

年齢又は服装、所持品、学年、背景その他の人の年齢を想起させる事項の表示又は音声による描写から十八歳未満として表現されていると認識されるもの(以下「非実在青少年」という。)を相手方とする又は非実在青少年による性交類似行為に係る非実在青少年の姿態を視覚により認識することができる方法でみだりに性的対象として肯定的に描写することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を阻害し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあるもの

非実在青少年とは (ヒジツザイセイショウネンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

何を言っていると思うかわからねーと思うが以下略。そして以下同じくわかりにくい思考実験。


①まず最初のオリジナルである作家が「A」という想像上の人物を設定する。
②私たち人類は誰であれ自分の想像上の概念を、それが文字であっても絵であっても、完全に同一に描写する事は不可能なのでより近い「A'」として表現する事になる。ここで「A'」というキャラクター、非実在少年が創造される。
③作品により「A'」というキャラクターが読者視聴者プレイヤーに伝達される。しかし「A'」を見た全ての人が同じ認識を抱くわけでは当然ない。例えば好き嫌いであったり、若く見えたり老いて見えたりする。ここでそれぞれの受け手が「A'」を認識した際に発生する「A'」に対してのイメージが、もし「zさん」という人物に認識されたと仮定すれば、それは本来の「A'」というオリジナルとは違う、そして他の読者としても違う「A'z」という非実在青少年が生まれる事になる。


さて、この最初に作家が生み出した「A'」と、読者zが認識しイメージした「A'z」というキャラクターに同一性はあるだろうか?
そしてもし「A'z」が『非実在少年』であると認定された場合、その判断はオリジナルである「A'」あるいは真の設定である「A」へと波及するだろうか?


この話だけならまだ単純に済むかもしれない。一歩進んで考えてみる。
例えばzさんが「A'z」というキャラクターを元に二次創作や同人活動を行った場合に、ここで当然彼も人間の能力の限界から「A'z'」というキャラクターが生み出される。そしてこのキャラクターを認識した読者「yさん」によって「A'z'y」というキャラクターとして認識される。
この「A'z'y」というキャラクターと、「A」というキャラクターに同一性は存在するだろうか?
そして同じような読者xさんによって二次創作された「A'x'」と「A'z'」というキャラクターに同一性は保持されるだろうか?


ここで問題となるのは、彼らは本質的には同一人物である、しかし絶対に完全に同一ではないということ。
もし「A'」から派生した子供、その一部が非実在少年であると認定された場合、「A'」自身と他に派生した「A'の子供達」はどう認定されるべきであろうか?
そしてそもそも、本来の作者が意図した「A」というキャラクターと「A'」というキャラクター、あるいは読者が認識した「A'○」という無限の子供達の間に同一性はあるだろうか?


もしここで「彼または彼女らは全て同一の『非実在青少年』ではなく全て個別に判断される」と言うならば、そもそも『非実在少年』というものに意味は無い。初めからその『行為』で判断すればいいのだ。*1
しかしもし誰かがその独自の判断によって、限りなく同一に近い(それでも全て同じではない)キャラクターに対して同一性を認めるとするならば、それは本来のオリジナルへの冒涜ではないだろうか。本来のオリジナルとは関係無い所で規制されてしまうのだから。*2



この問題は、その不健全な規定された『行為』ではなくて、その不健全な『人物』を設定する以上避ける事ができない。挿れてないからセーフだからとか、水着だからセーフだとか、はいてないからセーフだとかそういうレベルの問題ではない。より更に問題は複雑になるだろう。
私たち人間は自分の想像を完全無欠な形でそれを表現する事ができない。むしろだからこそ芸術は素晴らしいと偉い人は言うかもしれないけど。


というわけで、
一体どこからどこまでが同じ、彼または彼女、なのだろうか?

*1:そもそもそれで完全に防げなかったからこんな手段に出たんだろうというのは理解はできる

*2:多くの漫画家先生が怒ってるのもこの辺りだったして(妄想です)