その天災を見る目

というわけでルイジアナ沖油田爆発のあれ。すごい大事になってるらしい。


米メキシコ湾岸、流出原油がもたらす悪夢のシナリオ 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2010050100298

【4月30日 AFP】油流出による海洋汚染はどこで起きても壊滅的だが、米南部ルイジアナ(Louisiana)州沖の石油掘削基地の爆発炎上事故で流出した原油の除去を急ぐ作業員らが直面しているのは、とりわけ悪夢のようなシナリオだ。

米メキシコ湾岸、流出原油がもたらす悪夢のシナリオ 写真9枚 国際ニュース:AFPBB News

なるほどなるほど。しかしまぁなんというか確かに、場所といい非常事態宣言といいそして「オバマ大統領の初動の遅れへの批判」といい、2005年のカトリーナ思い出しますね。だからあの時のように今回も大統領の対応の不手際を批判されてしまう。
かつては風雨が、そして今回は原油が押し寄せてくると。恐ろしい話です。メキシコ湾の悪夢再び。


とまぁこうした大規模な環境被害の話って確かに大変な事態ではある。実際に日本ではともかくアメリカでは大変な事態だと報道されているわけだし。
だけど「これからは事故しないように気をつけよう!」というふわっとした結論以外に何が言えるのか? と言われると怪しい。だってだからといって原油に依存しないような社会を作れるかと言えばまったく見通しはないわけだから。その確率を減らす事はできても決してゼロにはできない。その意味で確かにカトリーナであったような天災を見る感覚と近い物がある。私達はそうした避けられない極小のリスクを抱えて生きていかざるを得ない。
Civilizationとかあるいはシムシティゲームデザインにあるような、原発を運用していく上で極小確率でメルトダウンしてしまうシステム、そうした出来事がまさに台風や地震等の天災のように語られるのと何が違うのか。


私達はそうした、極小確率で致命的なリスクがあるシステムを運用している。運用していかなければならない。運用せざるを得ない。
それを批判する事は確かに簡単ではある。原油を使わなければいいとか原子力に頼らなければいいとか核兵器なんて要らないとか。しかしぶっちゃけてしまえば、普通の人ならば、誰にだってそんな事は解っている。それでも使わなければならない理由がある。つまり、そうしたシステムを非難するような少数の否定派は多数派を説得する事はできていない。それは人類の本能や性質というべき物であったり、あるいは無知が故に。


そうした未だ発展途上にある人類の無知による悲劇なんでしょうね、というこれもまたふわっとした結論以外に辿り着けない。