私たちの望む「悲劇のヒロイン」

また燃え尽きたので今日も軽い日記。動物愛護の是非というよりはメディア報道の問題ですよね、なお話。


救出はペリカンをもっと苦しめるだけ? | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

鳥たちの救助を求める大衆心理

 野生に戻れる確率は上がっているものの、生存期間が延びていることを示す証拠はほとんどない。「損傷した内臓を治療する生物医学的な改善策はまだ見つかっていない」と、アンダーソンは言う。
 どんな形であれ、今後も救助作業は続けられる。世論がそれを求めるからだ。「組織的な対応が行われなければ、一般の人々が自分たちで乗り出しかねない」と、米タフツ大学の獣医で野鳥救出の専門家であるフロリーナ・ツェングは言う。「彼らは誠意を尽くしているつもりでも、野生動物の適切な保護方法に関する知識はない」

救出はペリカンをもっと苦しめるだけ? | アメリカ | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

なるほどなるほど。まぁそういうものかもしれない。
けどこれって結局、よく言われる「善人と悪人と悲劇のヒロイン」という皆大好きニュースショー的構図なんですよね。善人=救出スタッフ、悪人=政府とBP、悲劇のヒロイン=油まみれのペリカン、あたりだろうか。


無論そんな善意から出た救出作業が悪いというわけでも、意味がないということでも絶対にない。ただそこで重要なのは動物達の幸福、ではなくて私たちが見ていて気持ちのいい結果であるかどうかでしかないと。
救出する人々は達成感を得られるし、それを報道する人達は大衆の人々の注目を集められて嬉しいし、それを見る私たちはいい気持ちになるし、救出される動物達も0%よりは高い確率で一応は救われている。まぁそう考えれば確かに誰も損をしていない。「生存期間が延びていることを示す証拠はほとんどない」という事実はさて置かれて。


そうした関係者各位による暗黙の同意の下で「悲劇のヒロイン」な構図は再生産されていく。私たちはそんな、ある意味単純な構図な、かわいそうな「悲劇のヒロイン」を見る事が大好きだから。