民主主義故に分裂するものたち3

微妙に昨日の続きのお話。


そういえば昨日の日記書いてて思ったんですが、イスラエルほどではないものの、トルコも同じような感じで苦しんでいますよね。
少し前にあったイスラエルのガザ支援船攻撃の時に、トルコはそれを強く非難した。しかしそれはそこで急にトルコの反イスラエルな姿勢が生まれたわけでは勿論なくて、国是としてあったヨーロッパ的な世俗主義から、国民世論を背景としたイスラームへの回帰主義が、そうしたイスラエルへの反発の根底にあると。


トルコでは伝統的に軍・司法関係が世俗主義擁護派ではあるものの、しかし前々回2002年と前回2007年の2度の選挙において、トルコの国民はどちらもAKP(公正発展党)というイスラーム主義色の強い党を第一党とした。で、そのイスラーム主義色を巡って政教分離に反するとAKPに対して憲法裁判所で争われたり*1
つまりトルコではここしばらくずっと、世俗主義と民主主義が対立している。
そりゃEU加盟交渉で冷たくされてしまいますよね。これまで散々書いてきたようにヨーロッパはそうした宗教を切り離すことに意味を見出しているから。もちろん逆にその拒否られたという要素があるからこそ、そうしたトルコ内での流れが加速もしているともいえるんですけど。卵が先か鶏が先か。
そしてEUから切り離されつつあるトルコは、当然の流れとして中東政治にコミットしていく。その結果の一端が、前述のイスラエルのガザ支援船の際の強い非難であったり、あるいはもっと最近のイラン核開発問題だったり。まぁだからといって単純に中東政治に組み込まれるかというとそうではなくて、むしろ対イスラエルであったりクルド人問題のある対イラクであったり伝統的な対イランであったり、むしろその国際関係は不安定になっていくと。


しかし強力な世俗主義志向という国是があったトルコでさえ、こうしてイスラームへの回帰を国民世論が選択してしまうのは、色々考えさせられる話ではあります。その教義規律の性質上、キリスト教よりもイスラム教により近いユダヤ教は、トルコでさえ無理だったのにイスラエルでできるなんてとても。


かつての宗教戦争の反省から、政教分離や宗教的自由というより理性的な概念に辿り着いたはずなのに、しかし私たちはそれでもまた分裂することを選んでしまう。それは私たちがもう一つ別に辿り着いたはずの民主主義故に。

*1:結局それは却下はされたものの、政党交付金の減額にはなった