共産主義の後には民族主義

そんな歴史的に証明されてしまった、あるあるネタ


ロシアで民族対立が激化、若者グループ1000人以上を拘束 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
いつものパターンですよね。つまるところ、共産主義全体主義が衰退した後にやってくるのは民族主義だった、という冷戦後にそこら中で見られた歴史の方程式に近い何か。
かつて劇的に分裂したユーゴスラビアや、ウクライナなどの東欧諸国や、あるいはエチオピアなどのアフリカ諸国や、そして現在の中国も足を踏み入れ掛けているように、共産主義の後には過激な民族主義が華麗に復活する。やっぱりそれは大元でもあるソ連=ロシアでもそうなってしまうと。
まぁ解らない話ではないんです。それまで全体主義の強圧的な体制下で抑圧されていた感情が、それまで抑えられてきた分より激しく燃え上がってしまう。そしてそれはよくあるマイノリティな少数民族の人びとだけではなく、今回のロシアのネオナチな人びとのような多数派の側にある過激な意見も同じように、そのどちらも一層燃え上がってしまう。
だから彼らのような立場にない私たちがその彼らを見て「うわぁ古臭い」と思うのは、実はそこまで的外れなことでもないんです。彼らはまさにその共産主義の前までにあったはずの古い記憶が今更になって蘇ってきているわけだから。延々と溜め込まれてきた鬱積が爆発してしまっていると。


その意味でいうと、これまでの日記で散々「民主主義では民族問題は根本的に解決することはできない」とか言ってきましたけど、少なくとも全体主義のそれよりはまだマシではあるんですよね。こうして全体主義の後に民族主義で苦しむ彼らを見ている分には。そのどちらも基本的な性格は「先送り」ではあるんだけど、より副作用の少ないのは民主主義な方法であったと。少なくともその「民主的」なシステムは適度にガス抜きをさせることができていたから。彼らのように延々と貯め込み発酵させ爆発させてしまうほどではなかったから。
「民主主義は最悪だけども、これまであった最悪の中ではもっともマシである」やっぱりさすがのチャーチルおじいちゃんです。
まぁだからといって何のなぐさめにもなっていないのは確かではありますけど。