イスラム教と民主主義

チュニジアの一連のあれで、最近に特に盛り上がってるお話。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5313

 ブッシュ氏は5年前、中東における民主的な変革を約束した。2度目の就任演説の大望は、それが口にされるや否や断念された。アラブの街に発言権を持たせると、ハマスのような過激派に力を与えてしまう恐れがある、という点ですぐに意見が一致したからだ。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5313

昔から「イスラム教は民主主義普及の妨げとなっているか?」という議論には賛否色々あるわけではございますが、個人的には以前書いたように「(石油)資源依存による民主主義の妨げ」の方が強いのではないのかと思います。そこでも書いたように独裁制と資源依存による国家運営という組み合わせは、それはもう相性が良いから。
翻って最初の問題の答えとしてイスラム教と民主主義ってむしろ、相性が良すぎる、と思うんですよね。だからその答えはYESでもありNOでもある。
両者は相性が良すぎて、それこそ上記引用先のように、すぐに原理的なイスラム教系の政党・候補者が勝利してしまう。そして長期的に見て原理主義は国家発展にどちらかと言えばマイナスに働くので、そうではない世俗的な政府はイスラム教系政党の選挙活動を抑制する必要にかられ、結果として普通選挙に失敗すると。イスラム教の強い地域って大抵こんなことになるんですよね。以前も書いたアルジェリアや、そして中東イスラム世界で最も進んだ民主主義国家と言われるイラン、あるいはエジプト、少し前までのトルコなど。それはイスラム教どうこうと言うよりも、彼らの強い信仰心と、あまりにも生活に密着した教義故に。
もちろんそこには単純に独裁を好んだ例もあるんだけど、しかしそれでも彼らの内の少なくない事例が、そうした「民主主義に強すぎる」イスラム原理主義を恐れてもいたと。実際それも一つのやり方ではあるんですよね。完全に移行するまでの仮設期間としての、制限された民主制、というのも。かつての日本や韓国、タイやベトナムなど、もしかしたら中国もそうなる可能性も0ではない。
まぁそうしたことはそれこそ「民主主義原理派」な人びとには受け入れがたい理屈ではあるんでしょうけど。

 欧米は考え直す必要がある。米国の国務長官は数年前にカイロで、中東で独裁者を支えるという数十年来の政策の明らかな失敗について語った。それによって暴力的な過激主義の種が蒔かれ、長期的な安定がご都合主義の犠牲になっていたからだ。コンドリーザ・ライス氏は状況を正しく理解していた。だが不幸にも、彼女はブッシュ氏に仕えていた。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5313

さて置き、そうした失敗例から、上記のような結論を導くのは何ともアレなお話ですよね。まぁ確かに理屈としては正しいとは言えなくもない。
つまりそれは、国家の不安定化による地域全体の不安定化を避けようとした為に独裁制を許容した結果「暴力的な過激主義の種」が国際的に拡散してしまったことを後悔していて、それならいっそ彼ら自身の国内で権利・階級闘争として内戦や国家・地域の不安定化を許容した方がまだマシである、と気付いてしまったということでもあるんですよね。確かに、ぶっちゃけてしまえば9.11のあれを見た後ならそう考えてしまう気持ちもわかります。
でもまぁそれが本当に正しいのかは結構微妙なラインじゃないのかと。それこそ民主主義原理派な人びとには受け入れられるんでしょうけども。


こうした問題の根本にはやっぱりエネルギー安全保障の問題があって、それさえ無ければ他人事として野にでも山にでもなれと気楽に見ていられたんでしょう。しかし中東地域ではそれができない。北朝鮮や一部アフリカのようにどうなってもいいやと。良く言えば「現地の意思を尊重」していて、悪く言えば「放置」している。それは善悪の問題でさえなくて、私たちが石油資源に頼って生きている以上、必然的に見て見ぬフリができない問題でもあります。
あまりにもそこが重要過ぎる故に、私たちは中東地域の安定に気を揉み続けなければならない。私たちに気を使われた方がいいのか、あるいはほっとかれた方がいいのか。例えばそんな中東と北朝鮮とアフリカの現状を見比べてみて誰が一番幸せなのか、と聞かれるとすごい困っちゃいますけど。
いやぁ国際政治ってほんとうにもうめんどくさくてドロドロで、でも選択の余地がないお話ばっかりでとても素敵です。