原理主義回帰という悲劇

昨日の日記を書いてて考えたお話。


「なぜ国を守らなければいけないのか?」のマジレスを考える -後編- - maukitiの日記
さて昨日の日記ではそんな彼のような「現状に不満があって、しかし同時にその昔の状況にも同じくらい不満がある人が、結果的にもっと更に大昔にあった状況に光明を見出してしまう構図」について、「確かに近代国家の機能ってアレな面もあるけども、だからといってそれ以前の構図に救いを見出してしまうのは浅薄に過ぎる」と、まぁ一言で言えば「バカだなぁ」と私は切り捨てていたわけです。でもその時は脱線が過ぎるので敢えて割愛したんですけど、実はそうした構図ってどっかで見たことあるなぁと後から考えて気付いた事があるんです。
それは『原理主義の悲劇』と同じであると。そう考えると昨日の人バカだなぁとか思ってしまってごめんなさいという感じです。


つまり、近代以降特に見られるようになった『イスラム原理主義回帰』ってそれとかなり近い構図だと思うんです。
彼らは「西欧由来である自由主義や資本主義などによって圧倒されてしまった状況、をなんとか覆そうとしてそれまでの伝統的価値観とは別の新しい価値観を導入しようとしたけども、結局それに失敗してしまった」からこそ、原理主義に回帰しちゃうわけですよね。彼らは二重の失敗に苦しんでいる。一つは新しい価値観と伝統的価値観の上手い両立に失敗した点と、そしてその新しい価値観の導入にも失敗したという点。
彼らは、それまであった穏健的・世俗的な価値観の維持に失敗し、そして(西欧的な)新しい価値観の導入にさえも失敗してしまった。結果的にそうして両方を失ってしまった彼らが最後に希望を見出したのはそれよりも更に昔にあった『原理的な教義』であったと。そんな原初にあったものは、とっくの昔に否定されたものであることをその絶望故に忘れてしまって。
いやぁ悲しいお話です。


そんな彼らの悲痛な選択と、昨日の日記のような『国家不要論』な彼、これらって確かに構図的には近い物があると思うんですよね。何もかもに絶望した結果、既に一度否定されたものに再び救いを求めてしまう人たち。まぁだからといって前者には多少の同情もできるけど、後者はやっぱりバカだなぁという気持ちが強いんですけど。