私は如何にして右翼を心配するのをやめたのか

いや別に愛してまではいませんけど。そんなどちらかといえば似非リベラルな私の雑感。あるいは妄言。


日本でも某在特会や、あるいは世界にはもっと過激な事をやってるネオナチなどの極右な人びとがいらっしゃいますよね。それは先進的な民主主義国家にも、あるいはだからこそ、彼らの声は一定の程度まではその存在を保証されてもいる。
で、それに対して様々な思いからすごい勢いで反発する方々もやっぱり居るわけで。まぁそれはそれで別に構わないんです。あんまり個人的には同意できませんけど。何故かって、現代の民主的国家に生きる彼らって、なんていうかもうかわいいものでしかないと思うから。


彼らの主張することってせいぜい「移民を増やすな」とか「特権を認めるな」とか「伝統的な国威発揚」でしかない。
もう今更、かつてあったような拡張志向とか植民地主義だとか対外戦争とか言い出す人なんて殆ど居なくなってしまった。昔はそんなこと言っている人たちばっかりだったのに。だけど現在の世界において、外国人を全員追い出せとか、ぶっ殺せとか、外国を占領しよう、とまで言いだす人はほとんど見ることもない。もし居たとしても、頭おかしい人扱いしかされなくなった。とても素晴らしいことです。


そんな過去の歴史、神の戦いや十字軍とか植民地とか奴隷とか帝国主義とか、と較べて『最低限のライン』の基準は以前よりもずっと引き上げられたと思うんですよね。それはもちろん両者の啓蒙と自省によって。その意味で『人権意識の進歩』という概念を追求したことによってもたらされたのは上方方向への変化ではなくて、下限が引き上げられたという結果ではないのかと。
結局の所、そんな一般に左側にリベラルな人たちが主張してきた事は基本的に昔から何も変わっていなくて、むしろ一貫して変わってきたのはそんな右側な人たちの方だった。これじゃどっちが保守でどっちが革新なのか解りませんよね。


だからまぁ私は心配するまでもないと思うわけです。
いや勿論その歩みを止めていいわけではありませんけど、でもそこまで排外主義や民族主義を心配や危惧した所で、これまでの歴史を振り返って見た限り、実際あまり意味はないんじゃないのかと。