誰がために電波は飛ぶ?

いつもの燃え上がる人びとについて。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1651609.html
フジテレビに集結した抗議集団 / 無関係の観光客に「お前ら遊んでる場合じゃねえ!」と暴言 | ロケットニュース24
うん、まぁ、えーと、楽しそうですね。というだけじゃアレなので少しだけ書きます。
よくこうした人びとに対して「そんなに嫌ならテレビ見なければいいじゃない」と仰る人がいらっしゃいますけど、その指摘はかなりの部分まで正しい。しかし世の中に存在する数多の怒れる人びとを、そんな正しい言葉・論理だけで説得できると思ったら大間違いですよね。彼らはそうした論理を超えた先に居るんだから。いつだって怒れる人びとは理屈じゃないわけであります。
まぁこの人たちに限った話ではないんですが、もう少し書くとすればこうした場合、むしろ彼らはそこに利害関係が無いからこそそこに意味があると思うようになるわけです。そこに「見なくてもいい」という選択肢があるからこそ、だからこそ自分たちのこの怒りには正当性と純粋さがあると信じている。そんな利害関係や自己利益が無いからこそ自分たちの怒りは公的で正当で美しいのだ、と。
そんな正義の為の正義を追及する人たち。そんな人たちにマジレスしてもまぁたいして意味はありませんよね。


といういつもの話はさて置き、「電波を返せ」という言葉について。これって少しだけ面白い話だとは思うんです。
『韓流』をグローバリズムと呼ぶことの傲慢さ - maukitiの日記
以前の日記でも書きましたけど、やっぱり『韓流』は彼らの推す扱いやすい商品の一つでもあるわけで。それは制作費が安いから等々といった理由によって彼らはそれを「多少」日本向けにアレンジした上で頻繁に用いられている。まぁその事自体は別にいいんです。
しかしまた同時に、そうした『自社製品』という彼ら自身の都合から生れたものを公共の電波を使って一方的に宣伝することが本当に正しいのだろうか? ということを投げかけてもいるんですよね。
少し前まで、まだ野球人気がそれなりにあった頃、よくテレビ局が持っている野球チームを贔屓に「その試合ばかり放送するのはいかがなものか」という議論がありましたけど、それに近い話ではあると思うんです。テレビ局自身の都合(多くの場合で彼ら自身が保有し販売している商品)による、一方的な宣伝やトレンドの創造を許可するべきかどうか。まぁ確かにそれは企業としてのあり方としてはある意味で正しいとも言えるわけです。しかしそんな私的な理由での番組を、ほとんどチャンネル数のない寡占状態にある日本のテレビ放送で許していいのか? と。
もし昔のように日本の野球がかなりの人気を維持していたら、ネットの興隆と共に同じような議論になったんじゃないかなぁと少し思うんですよね。