権力者の権力者による権力者のための平和

現状維持勢力と現状打破勢力の戦いについて。そこに是非などないお話。


CNN.co.jp:リビア、一部の地域部隊同士が主導権争いで銃撃戦
わー盛り上がっとるー。まぁ皆さん仰っているように、既定路線の一つでしかないのは確かにその通りでございます。つまり、独裁者が居なくなれば、次の独裁者を決める争いが始まるだけだろうと。


こうした事態は国内政治で、しばしば、起こることであります。しかしそれだけじゃなく国際政治だって似たようなものなんですよね。独裁政権によって「国民世論」を無視した形で平和が保たれているのは、国家の内部だけではなく国家間のそれでも同様なことが言えたりするわけです。まぁそれは平和主義とか非暴力といった信念からではなく、主にその権力者たちの地位を守るため、ということが第一の目的としてそれが成されるわけですけど。
最近のイスラエル周辺での独裁政権の崩壊でもそれとやっぱり似たようなことが言われてたりしましたよね。彼らの自由な国民の声によってイスラエル関係は自動的に悪化すると。


こうした構図を見ていて思い出すのは、やっぱり『アラブの春』初期から一部で言われていた『1848年革命*1』に近いものになるのかなぁと。
当時、特に国際政治においては『ウィーン体制』として上手く機能し19世紀〜その前半までにおける(歴史上における例外として数えられるほどの)ヨーロッパ大国間の平和を実現していました。しかしそんなヨーロッパの平和状態は、1848年からの一連の自由主義革命によって動揺し最終的に崩壊してしまうのです。何故かって、そうした『ヨーロッパの平和』を維持していたものとは、結局の所、その国家権力者たち同士「だけ」が望んだものでしかなかったからです。人びとの自由な声はナショナリズムという形をとって文字通り『現状を打破』したのです。故にそうした現状が打破されてしまった結果、そこで権力者たちだけが望んでいたヨーロッパの平和状態はあっけなく崩壊してしまいました。


そうした教訓が教えてくれるのは、上記リビアで起きていることやそして国民投票で揺れるギリシャでも、似たような話なのかなぁと思うんですよね。
つまるところ、次の主権者たるその国に住む人びと自身が、その必要性を感じていなければ結局こうして混乱に至るしかないのです。ただただ権力者や政治家の偉い人たちのみがそれを理解していれば良い、というのは実は危険な状態でもあるのです。もしそうした意識を持ってない人が次の決定権を握ってしまったら、それは簡単に御破算になってしまう砂上の楼閣に過ぎないのだから。それこそ、かつてのウィーン体制にあったヨーロッパの平和のように。
だからやっぱりギリシャの政権の中の人たちだけがその必要性を理解し賛成していたとしても、こうして『国民投票』という案を持ち出されて致命的に混乱を招いてしまう。だってそれは権力者の権力者による権力者のための『合意』でしか(少なくともギリシャ国民にとっては)なかったのだから。


そしてリビアも同様に、結局の所、良くも悪くも『リビアの統一』を望んでいたのはかつての権力者たちだけだったんでしょう。だからこそそんな現状を打破する為に、彼らは『宗教』を使って何とかその意識を醸成しようと悲壮な努力を続けているのです*2。権力者「だけ」の平和、じゃなくすためにこそ。まぁ結果として、こうして部族同士の銃撃戦に至っている辺りその見通しは暗いと言わざるをえませんが。