当日記は赤旗や産経を応援しています

あ、いや、別に本紙を購読まではしていないので、ソウル的な意味ということでひとつ。


産経「自衛隊訓練で立ち入り拒否」記事に9区が抗議・訂正要求文 : J-CASTニュース
そういえば産経さんがまたやってしまったそうで。うーん、オメガバカ、おわり。

陸上自衛隊の訓練をめぐり、産経新聞が2012年7月23日朝刊で「11区が自衛隊員の庁舎内立ち入りを拒否した」などと報じたことを受け、立ち入りを拒否したとして名指しされた11区のうち9区が2012年7月23日から24日にかけて、相次いで産経新聞社に対して抗議するとともに、記事の訂正を要求する文章をウェブサイトに掲載した。

産経「自衛隊訓練で立ち入り拒否」記事に9区が抗議・訂正要求文 : J-CASTニュース

うちの日記で一年に一回位は書いている気がしますけど、やっぱりディルバートの法則*1でも揶揄されている通り「記者はいつも選択を迫られる。労を惜しまずネタの裏を取るか、人から聞いた話をそのまま書くか。いずれにしても給料は同じなのだ」というオチで終わってしまうお話ではあるのかなぁと。


新聞記者の人にどれだけ期待を掛けたとしても、やっぱり彼らだって結局はサラリーマンであるのです。その意味で、構図的には最近イジメ問題で揺れまくっている『教師の資質について』と近いところにあるのだと思います。
結局彼らはどれだけ真面目にやってもそのサラリーには変わりなくて、であれば出来るだけ(問題にならない程度に)「手を抜こう」とするインセンティブが働くのは当然の帰結としか言いようがありませんよね。出来るだけ低コストで商品を提供することこそが、私たち現代社会のある種の美徳でさえあるんだから。私たち自身だってそれを少なからず求めているわけで。その点においては、こうした不祥事に関してどれだけ彼らを責めてみてもぶっちゃけ何の解決にもならないんじゃないかと。
かつては教師やジャーナリストなど、一般に『聖職』とされるような共通認識があって、それが結果的に彼らの職業倫理を支える最後の防波堤の役割を果たしていたわけですけども、しかし最早そんな「名誉」というリターンさえもなくなってしまった。かくして彼らはそのコストパフォーマンスをより一層意識するようになっていく。そりゃ当然の帰結としてこうなってしまいますよね。
しかしだからといって、ならばサラリーをやめた「フリージャーナリスト」の皆さんがサラリーマンのそれの人たちと較べてどれだけマシなことをやっているのかというと……、うん、まぁ、ノーコメントで。「お金は大事だよー」と歌ってしまう気持ちは理解できなくはありません。

「偏っている」と貴方は言うけれど

ともあれ、しかしまぁ個人的には産経さんにはもう少し頑張って欲しいとも思うんですよね。勿論上記のような失態は問題外でありますので論外であります。
いや別に僕のポジションに産経さんのそれが近いとかそういうわけではまったくなくて――というか視線位置的には『赤旗』見ている感じに近い――それでも、報道機関としての産経さんは概ね自らの立ち位置を明確にしているだけ、それなりに誠実なんじゃないのかと。ポジションを明確にした上で、そこから極端なことを言うのはむしろ良いことなんですよ。結果としてそうやって各個人がそれぞれの情報に触れることこそが、所謂「メディアリテラシー」に繋がるんでしょうし。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120725/234873/
上記記事で、アメリカにおけるリベラル系と保守系メディア間の、発信されるニュースの明確な違いが語られていますけど、その点でアメリカは日本のそれよりもずっとマシだろうというのは同意するしかありません。彼らはニュースのキャスターでさえも自らのポジションを明確にした上で、それを語っているわけだから。
しかし中立のポジションを騙って(あるいはそう確信して)からそうやって適当な評論やまとめをされるのは、本当に、心底、気の抜けるお話だと思うしかありません。そりゃ日本の人たちがメディアリテラシーなにそれおいしいの状態になるのは当然ですよね。
まぁそれはそれで上記先でも語られているように、現在の冷戦以降からのアメリカが陥っている決定的な分裂状態などあって、良いことばかりではないのはその通りであります。ただそれでも僕としてはただ口をあけて情報を待つだけではなく、自分の頭で考える葦であった方がマシなんじゃないかなぁと。それこそが民主主義政治の根幹であるのだろうし。


なので主に右側からバカなことを言いまくる産経さんは、やっぱりそうした情報の取捨選択や比較検討としていい素材だと思っています。その意味では赤旗さんもそうなんですけどあまりにもマイナー過ぎてあれなのが……。逆のポジションとしては朝日さんとか毎日さんとか東京新聞さんとかがあるのでしょうけど、彼らは結構ブレたりしまくっている辺り覚悟が足りていないと思っています。
産経だからダメだとか赤旗だからダメだとか、よくそんな風に批判されたりしますけど、しかしそれはそれで別に良いことだと思うんです。偏っていることがダメなんじゃなくて、偏っていないと嘘をつくことこそがメディアとして致命的なのです。「自分は歪んでいる」という正直者と、「自分は歪んでいない」という嘘吐き、ならば前者の方が絶対マシだろうから。


しかし何故か『不偏不党』という目標をこじらせてしまった人たちについて。まぁそれは彼らの問題というだけでなくて、同時にそれを望む私たち視聴者の問題でもあるのでしょう。「中立ってスバラシイ」なんて。以前の日記地獄とは対抗言説の不在なり - maukitiの日記でも書きましたけど、そりゃ皆が皆同じ顔をしてしまいますよね。
がんばれ(日本では希少種な)偏った人たち。