不毛な足の引っ張り合い

その理不尽で正当な怒りに対して一体彼らをどのように説得すればいいんでしょうね?


生活保護:「恥じゃない」利用者ら霞が関をデモ− 毎日jp(毎日新聞)
えー、まぁ、なんというか、がんばれ。でもまぁ個人的には脱原発デモのそれよりかはまだデモの使い道としては正解かなぁと思ったりします。
例えば脱原発の人はもっと他にやるべきことがありますよね。以前の日記反原発のみなさまの投票先 - maukitiの日記でも書きましたけど、まさに彼らの主張するように「圧倒的多数の人がそれを望んでいる」のであれば、ぶっちゃけわざわざデモなんてやっている暇があるならもっと直接的に脱原発賛成の議員なり首長なり増やす努力をすべきじゃないのかと。まぁ脱原発の実現よりも「とにかくデモがやりたいだけ」ならば好きにやっていればいいと思いますけど、実際そうしたことをお仕事にしている方も結構いらっしゃるようだし。この辺は日本人の『政治活動』に対する本能的な嫌悪感やらが関係している――だから『デモ』なんかに過大な期待を寄せてしまうんじゃないか、と思うんですけどその辺は本題とは関係ないのでまた別の機会に。
しかし――この生活保護受給者たちの意見に賛成か反対かはともかくとしても――こうした人たちにとっては他にやりようがないのだろうという点はすごく理解できます。故に彼らが至ったデモという手段は正しくもあるのかなぁと。
だからというわけじゃないですけど、その意味ではこの「恥じゃない」デモに関しては、個人的にはまぁどちらの意見も解らなくはないのです。
勿論こうしたセーフテイネットは当然設定されるべきであるし、しかしだからといってこうした事実に感情的に反発を覚える人たちは、こちらも以前の日記勤労意識の裏表 - maukitiの日記やそのコメント欄で書いたように「人は善く働くべきである」なんていう『勤労意識』という美徳のもう一つの面でもあるのだろうし。こうした正義・道徳・美徳・倫理といったものは何にでもその裏と表があるので、一方だけを批判しても不毛な争いにしかならない気がします。彼らの内心に対して「怒るべきではない」というのは、翻ってそうした正義そのものへの懐疑でもあるわけだから。


ともあれ本題。
この問題を余計にめんどくさくしているのは、背景に日本の労働環境に対する無頓着さがあるわけですよね。最低賃金生活保護より下だったり、あるいはサービス残業が日常化していたり。もちろん『生活保護』とは直接には関係ないと言えばそれまでなんですけども、しかしこんな状況でこの生活保護の人たちに対してもっと「寛容になれ」と正論を持ち出してみても、ぶっちゃけこれでは筋がよろしくないだろうなぁと。
「俺たちだってガマンしているのに、何であいつらもガマンできないんだ」
その怒りは多分に理不尽なものであるわけですけども、しかしそれはまた別の面では正当でもあるのです。まぁ身も蓋もなく言ってしまえば「俺たちも不幸なんだから、お前らも不幸になれ」と近いところにある心底不毛なお話でもあるんですけど。しかしその論理や怒りを抱いた人を目の前にして、(社会保障の意義などを用いて)彼らを理路整然と説得しろと言われても、僕にはそれをできる気がまったくしません。


そもそも論で言えばこうした構図を産んでいるのは、伝統的に日本がそうした『労働観』に関しての議論を置き去りにしてきたからでしょう。曲がりなりにも統一された国民をもつ私たちの幸運と不運。これまではあまり内部で問題になってこなかったからこそ、そしてアメリカやヨーロッパでは問題になってきたからこそ、向こう側では議論が進みこちら側では議論が進まなかった。そしてこのザマであると。
社会保障労働組合について何か決定的に勘違いしたままやってきた私たち。でも仕方ないよね、だって今まではそこまでの問題にならなかったんだから。そしてこのザマであると。


ということで、この生活保護バッシングの構図は「働かない人が得をするのを許したくない」ではなくて、「働かない人『だけ』が得をするのを許したくない」という点こそが問題であるんじゃないかと僕は思います。故に圧倒的多数の労働者側の皆さまは「自分が我慢している」という自覚――そしてそれはおそらく多分に正しい――があるからこそ、余計にそれが許せなくなってしまう。「だからお前もガマンしろ」なんて。
まぁこれは根本的には「好景気であれば社会的な摩擦は減るよね」というどうしようもないお話も内包しているんですけど。


みなさんはいかがお考えでしょうか?