夢を見るのが仕事です!

鳩山さんの正しい(再)利用方法。用法・用量を守って正しくお使い下さい。


朝日新聞デジタル:鳩山元首相、民主最高顧問に復帰 外交を担当 - 政治
鳩山氏が最高顧問復帰へ…民主、つなぎ留め狙う : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
(色んな意味で)みんな大好き鳩山元首相さんが民主党の外交担当最高顧問に就任なさったそうで。えーまぁよりによって何でそこなんだという気持ちは解らなくはありませんけども、まぁ民主党の彼らには彼らなりの事情があったりするのでしょう。お金とか議席数とか、あとお金とか。
しかし個人的には、鳩山さんの性質を考えると「外交顧問」の方がずっとマシだと言えるのかもしれない、とは思うんですよね。以下そんなお話。


しばしば批判に挙げられる彼の大構想――「鳩山イニシアチブ」や「最低でも県外」あるいは外交上の大目標とした「アジア共同体」などなど、それ自体の評価はともかくとして、夢のような目標それ自体は素晴らしいものであります。かつてセオドア・ルーズベルト先生が「私は夢を見ない人間に価値を認めない。そういう人はビジョンを持てないからだ」なんて仰っていたように、より良き未来を提示することは確かに政治家の一つの資質である、ではあるのでしょう。
だからそんな彼の(少なくない人々が言う所の)『バカげた大目標』をもってして「故に彼は失敗したのだ」という批判は、実は彼の本当の失態を見逃す事になるんじゃないかなぁと少し思ったりします。別にいいんですよ、身の丈に合わないような夢のようなお話を夢見たって。きちんとそれに向けた計画があるならば。むしろそうした人たちこそが歴史に残るような大変化を起こしてきたわけだから。
ところが、結果として見れば、彼にはその工程表に値する何かは何もなかったのでした。
国民にとって不幸だったのか幸運だったのか、彼には大きな夢を語ることはできても、しかし「それに向けて現実的に行動する」ことがまったく出来なかった。
もしかしたらその意思はあったのかもしれない。しかし能力にまったく欠けていた。部下を鼓舞し目標に向けて邁進する事も、反対派に対して説得や懐柔をすることも、何一つできなかった。今になって振り返ってみると、彼が指導者として致命的に足りなかったのはその一点だったのだと個人的には思います。彼には夢はあっても現実的な計画をまったく用意していなかった。だからその夢についての賛成反対を語る以前の問題なのです。だってただ願望を垂れ流していただけだったのだから。


そもそも『目標と手段』というのは相互補完関係にあるわけです。目標のために手段を調整し、そして手段の為に目標を調整する。そうやって計画は現実的で実際的なものへと近づいていく。その過程を経てこそ、それは実現可能かもしれないと思わせるような説得力を持ち、ひいては手が届く故に努力する価値のあるものへと昇華されるのです。
その妥協とすり合わせの繰り返しによって、夢のような大目標は徐々に現実的な政策へと変わっていくはずでした。しかしどう見ても彼のそれはそんな過程を経ていなかった。いや、むしろそうした過程を経ていないからこそ、彼の目標はあまりにも無垢で高潔で純真で――つまりバカげた願望そのものだったのです。
かくして彼は失敗するべくして失敗しました。バカげた夢を見たからではなくて、その為に何ひとつ現実的な手段をとろうとしなかったから。
何故周りの人たちは誰も「その計画はどうやって実現されるおつもりですか?」と彼に聞かなかったのか不思議でなりません。いやまぁぶっちゃけ政権交代祭りでそれどころじゃなかったんでしょうけど。
本来『政治家』というお仕事にはそんな個人的な願望を実現させられるだけの権限が与えられているはずなのに。変革を夢見るだけでなくて、それを現実化することを射程に入れられるお仕事。いやぁ素晴らしくやり甲斐のあるお仕事ですよね。しかし彼はその特権をまったく放棄していた。そりゃ問題外だとか失格だなんて言われるのも無理はありませんよね。政治家の域に達していない。それだけならはじめから政治家じゃなくて社会運動家にでもなれば良かったのにね。


――ということで、そんな鳩山さんには『外交顧問』というのは実はとてもピッタリなお仕事ではないのかなぁと思うんです。夢を見ていればいいお仕事だから。
夢のようなお話を如何に現実にするかを考える多分に実務的なお仕事である政治家という一方で、ただただ「顧問」として夢を見ていればいいお仕事。まさに天職と言っても過言ではないでしょう。


ちなみに最初に書いたセオドア・ルーズベルト先生の言葉には続きがありまして、

「私は夢を見ない人間に価値を認めない。そういう人はビジョンを持てないからだ」
「しかし、夢やビジョンを、部分的にでも実現させるように、現実的なやり方で具体的に行動できない人間についても、わたしは価値を認めない」

いやぁ耳の痛いお話ですよね。