特大ブーメラン

少数派に転落するアメリカ白人のみなさん。


NYのエリート高校の入試でペーパーテスト廃止論議が勃発 アジアの「お受験」カルチャーがアメリカで問題に - Market Hack
まぁなんというか特大ブーメランで愉快なお話ではありますよね。

もともとニューヨーク市の公立高校をメリット主義の「イッパツ入試」にしたのは、NYタイムズの記事によれば白人の親たちなのだそうです。

1970年代に公民権運動が盛んになった際、白人が既得権益を守るため、州議会を動かして、現在の「イッパツ入試」方式を導入したのです。

それが完全に裏目に出て、白人の生徒は勉強熱心なアジアの生徒に勝てなくなっているわけです。

NYのエリート高校の入試でペーパーテスト廃止論議が勃発 アジアの「お受験」カルチャーがアメリカで問題に - Market Hack

いやぁ見事すぎます。
この辺は、結構前から大学等でアジア系はテスト結果にマイナス補正食らっている、というのは地味に言われているお話ではあります。1980年代辺りの一時期の暗黒時代に言われていた「学習すること自体が低俗だと見なされてしまう文化」な黒人の人たちがあるならば、そりゃ逆に「お受験に全力全開」な文化があっても不思議じゃありませんよね。前者だけを見て笑っていたら、後者という外来生物の侵入を許してしまった人たち。


もちろんただ近視眼的に問題を解決するだけならば積極的差別是正措置でも何でもやればいいのでしょう。
ただまぁよく言われているように、賛否両論ありながらも、それをロースクールなどでやるならば確かに意義があることではあるんです。例えば少数派な黒人の入学を認めることで、社会全体の黒人法曹を増やそうとする運営者の理念として、更には多様性を掲げる市民社会における意義としても同時に適っているわけで。
ところがそれを引用先にあるような『エリート校』でやろうとすると――エリート学校の理念に正しく適ったエリートのエリートによるエリートの為の是正措置――まぁ階級社会の固定化一直線ですよね。それこそかつての『科挙』の時代から、階級社会を一発逆転するための細い糸だったペーパーテストの存在意義を完全に否定してしまいます。
その意味では、上記黒人やヒスパニックの入学を否定しようとした1970年代のそれよりも、今回の方がよっぽど筋は悪いよなぁと。


それでもそんな風に考えてしまう気持ち自体は解らなくはないんですよね。最近の日本の例だと、三連続のモンゴル出身の横綱を見て複雑な気持ちになってしまう構図に近いのでしょうか。国際化する以上避けようのない事態。わかっちゃいるけどもんにょりしてしまう。特に『西洋』の皆さんにとってそうした頭脳というのは彼らのアイデンティティの中心にあるものの一つなのだろうし*1。この辺はスポーツや陸上などで黒人選手などに席巻されまくっている構図とはまた違った焦燥感があったりするのかもしれません。


ともあれ、古今東西歴史の教えてくれる方程式ではこうした「ソトからやってくる知識層を如何に利用できるか」が興亡の重大なカギを握っているわけですよね。それを偏狭に排外的に振舞ってしまってしまうと、知識の流失によって最終的に取り返しのつかないことになってしまう。20世紀を通してのアメリカの大成功にしてもやっぱりそうした要素があったわけだし。
上記ブルームバーグ市長の対応を見る限りその辺のことを理解して正しく振舞えているようですけども、長期的視点からすると、そうした避けようのないアメリカの「普通の人びと」の焦燥感を緩やかに和らげられるかが、これまた避けようのないアメリカ衰退への下り坂の角度を決めることになるのかなぁと思ったりします。

*1:この辺のお話は面白い所で、だからこそ(本来は彼らの方にも源流があるにもかかわらず)イスラム社会の少なくない所で反(西洋)科学主義に至ってしまうという悲しいお話があったりして色々と複雑で面白いんですけども割愛。