ピンチをチャンスに変えられなかった欧州連合

やっぱりまだ『民主主義の赤字』という問題は解決できそうにない。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39059
ということで来年、というか半年後に近づいてきた欧州議会議員選挙の展望について。なんだか悲観的なエコノミストさんちの評論であります。でもまぁそう言いたくなる気持ちはわからなくはないよね。ここ数年来の経済危機対応で見られた散々な失態の数々を見れば、そう思わないはずがない。
(俺たちがこんなに文句を言っているのに聞こうとしない)欧州連合はほんとうにクソだった、なんて。

 EUは、部分的に国際組織であり、部分的に連邦組織であるハイブリッド組織だ。民主主義の難問に対する整然とした解決策は存在しない。

 半ば選挙で選ばれるEUの大統領は、最悪の組み合わせを提示する可能性がある。各国指導者の信頼をつなぎ留めるには党派的すぎる一方、欧州の大統領を選んでいると思っているかもしれない市民が弱い事務局長しか得られず、彼らの忠誠心を得るには力がなさすぎるのだ。

 直接選挙は、欧州委員会が徴税権限のような連邦権限を与えられた場合には意味を成す。その場合でも、欧州委員会は、規制面の機能や実務面の機能を部分的に放棄することが必要になるかもしれない。

 今のところ財政はまだしっかりと各国に属したままだ。だが、正当性の問題は急を要する。これに対する1つの対応策は、各国議会がもっとしっかり、ブリュッセルで行った決定について自国閣僚に責任を負わせることだ。CERは、例えば救済策策定など、EPが発言権を持たない分野でEUの行動を精査する各国議会議員の「フォーラム」創設を提案している。

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39059

結局のところ、欧州連合がその誕生以来抱える『民主主義の赤字』という問題――この組織の民主的正統性はどこにあるのか?――は、この部分をどうにかしない限り決して解決することはないんですよね。
果たしてそれは政府なのか? それとも国際機関にすぎないのか?
このジレンマがめんどくさいのは、どちらか一方を強力にしようとすれば、必ずもう一方が損なわれてしまう点にあるわけで。国家政府の民主的正統性と、欧州連合の民主的正統性は基本的には必ずコンフリクトする。そりゃそうですよね。一方が決めたことをもう一方が反対した場合、一体どちらを優先させればいいのか?
それでもそこではきちんとした役割分担――それこそ私たちが見慣れた中央政府と地方自体のように――がしっかり出来ていれば、その問題は克服できたかもしれない。しかし、現状の欧州連合のような「曖昧な」組織にとってはそれも難しい。むしろそうやってその線引きを曖昧にしているからこそ、現状の欧州連合はなんとかやっていけてもいるわけで。この辺は現状の国際連合も同じ悩みを抱えているんですよね。規則と役割と権限をきっちり決めてしまったら何も決まらなくなってしまうからこそ曖昧にぐだぐだにして反対派を宥めながらどうにかこうにかやってきたものの、しかしその「曖昧さ」はやっぱり諸刃の剣でもあるわけで。
かくしてその欧州議会議員選挙の現状といえば、欧州連合の政策云々についてではなくて、そのタイミングに合わせた国内政権の是非という点が最大の焦点となってしまっている。そしてそんな「現政権への批判票」として躍進する各国の反EU政党たち。いやぁ笑い話のようなお話ですよね。



といってもまぁこれも、欧州連合だけに特有の構図ではなくて、既存の国家的枠組みを超えた超国家的領域に踏み込もうとすればほぼ確実に直面するジレンマであります。
いったいなんでこんなことになってしまったのかinユーロ危機 - maukitiの日記
以前の日記でも少し書きましたけど、それはあのアメリカ合衆国でも同じ構図でした。彼らは建国以来ずっと連邦政府よりも個々の州政府の方にずっと政治の重心が置かれていた。それがようやく変化する契機となったのが、あの南北戦争だったわけで。彼らはあの内戦を経ることでようやく単一の連邦国家となることが出来た。彼らはあの連邦のピンチを、結果としてチャンスに変えたのです。まぁだからこそ僕としてはずっと、欧州連合の今後の為にはこのユーロの危機をチャンスに変えなくてはならないだろう、なんてことをずっと言ってきたわけではあるんですが。


しかし現状ではそんな逆転の目は見当たらない。あの危機をより同盟深化への方向へと舵を切る梃子にできなかった彼ら。もしこのまま来年の選挙で懐疑派の躍進を許してしまったら、正直このツケはかなり大きなモノになってしまうんじゃないかなぁと。あるいはその時こそが、真に彼らが目覚める時なのかもしれませんけど。
がんばれ欧州連合