『面白さ』という強弱ではなく、むしろ『適者生存』な風景

一昨日書いた日記が期せずして多く読んでいただけたようなので、前回カットした部分と併せてもう少しだけ。




ほとんどの娯楽産業が通る見慣れた最適戦略 - maukitiの日記
ということで現状のゲーム業界について。まぁもちろんただの一消費者に過ぎない私のあくまで個人的な感想でしかありませんけども、この「決定的に市場が縮小していく中であがく中の人たち」という構図は、やっぱり無数の業界が辿ってきた、ある意味で普遍的な構図ではあると思うんですよね。涙なくして語れない中の人たちの懊悩。明日は我が身。


さて置き、まぁもちろん現状のやり方が「試行錯誤の段階」であり「結果として成功とは言えない」としても、それでもこうしてゲーム業界の苦難の道のり――新しい課金形態の模索――を比較的生暖かく容認して見ていられるのは、少なくとも正しい方向の努力だと思うからなんですよね。現在のように失敗を重ねながらも、いつかそのうち適正な課金形態へとたどり着いていくんじゃないでしょうか。結局のところ、現状あるような批判は『過渡期』ならではあり、(もし結果が出せるまでの時間的余裕があるのならば)いつか自然になくなっていくんじゃないかと。
(巨大市場としての)音楽は衰退しました - maukitiの日記
――それこそ、ゲーム業界と同じような構図に陥っている『音楽業界』のことを考えれば尚更。
この二つの業界が陥った構図ってやっぱりかなり近い所にあると思うんですよね。革命的な商品の登場以来その市場は限りなく巨大化していったものの、しかしそれはいつしか普及しすぎた故に特別な存在ではない日用品となり、敢えて「所有する事の魅力」が低下する事で膨らみまくった市場は決定的に縮小している。上記音楽業界のこうした姿を思い出すと、同じ苦境にありながらやっぱりゲーム業界の方は「まだ」マシな方向の努力をしているんじゃないかと思うんですよね。
それこそそんな中で音楽業界の方の(偉い)中の人たちは「海賊版対策」に邁進していったわけで。いやまぁもちろんそれはそれで必要なことではあるんでしょうけども、しかしそれが原因で自身の苦境の全てが――少なくとも大半が説明できるわけではなかったはずなのに。そんな中でもアイドルやアニソン売りというやり方で、最早CDというありふれまくった商品に「それでもカネを払ってもいいと考える別の付加価値」を提供することで、それなりに生き残っている人たちも居たりする。そりゃ売り上げランキングを見てそんな人たちばっかり残るのは当然ですよね。某48な人たちじゃありませんけど、やっぱり消費者の側が自ら望んで「もっと金を払ってもいい」と考える手法は強力であるのです。
最も素晴らしい作品が勝つのではなく、最も環境に適応した人たちこそが生き残っている構図。


こうした音楽業界の現状を考えると、何気にゲーム業界も似たような方向に行ったりするのかなぁと少し思ったりします。つまり、ゲームの内容云々だけでなくて、某ジョブズさんのようなカリスマ溢れる作者・チーム・プロデューサーのような存在によって「信者買い」されるような方向へ。あるいは現在よりももっとメディアミックスが進んだり。
それはやっぱりかつてあった全盛時代、巨大市場があり、ミリオンヒットが連発されるような時代とは違う風景になるのでしょう。しかしそれは是非の問題ですらなく、もちろんそこに個人の主観の好き嫌いはあったとしても、ただただ単純にそれが時代と環境が変化した果てにある適者生存な風景でしかないのだと思います。


みなさんはいかがお考えでしょうか?