名前が映すのは「未来」ではなく「過去」

キラキラネームが指し示すもの。


「キラキラネーム」をつけるのはやめよう : 地政学を英国で学んだ
ということで誰もが一家言ぶちたくなるネタである『キラキラネーム』のお話であります。当日記これまで何度か書いてきましたけど、やっぱり色々と書きやすいので、また以下適当なお話。

この傾向は白人的な名前と黒人によくある名前でウソの履歴書を5千社に送った時の会社側の回答率でも同様で、原著者によれば、白人的な名前(エミリー、アン、グレッグなど)の申し込みのほうが、黒人的な名前(アイシャ、ケニヤ、ダーネルなど)よりも回答率が高かった(10% vs. 6.5%)とのこと。

「キラキラネーム」をつけるのはやめよう : 地政学を英国で学んだ

この辺りは結構有名なお話ですよね。ちなみにアメリカだけでなくて、ヨーロッパでも事情は似たようなモノなわけであります。明らかに移民風な名前は、書類の時点で、敬遠されることがしばしばある。
ただ、じゃあ直接に子供の『名前』とその将来の成功が相関関係にあるのかというと、そんなことはないんですよね。名前がどうであろうと成功する人は成功するし、逆に失敗する人は失敗する。つまり、子供の成功と真に相関関係にあるのはその名前を付ける『親』の方にあるわけで。それこそ(非常に曖昧で「なんとなく」というレベルに過ぎないものの)名前から読みとれるのは、直接的な子供の将来ではなく、その人間が一体どういう環境=親の下で育ってきたのか、という点にこそあるのです。当然あまりよろしくない環境で育ってきた子供は成功する可能性が低いし、逆にきちんとした環境で育ってきた子供であれば逆になる。


だから、むしろ重要なのはこちらの方なんですよね。

もし原著者の「名前が社会階層を反映したものだ」という調査結果が正しいとすれば、程度の差はあれ、日本でも(金持ち、もしくは身分の高い階層の)「わかっている」人たちは、なんとなく「キラキラネーム」をつけることの危険性(親の知性が疑われる、など)を感覚的に察知していて、なるべく保守的で読みやすい名前にしているということも言えるのかと。

「キラキラネーム」をつけるのはやめよう : 地政学を英国で学んだ

もちろんキラキラネームであろうが、極平凡でありきたりな名前であろうと、そこに親が込める期待や愛情に差はない。子供に対する最も最初の贈り物として名前を付ける親たちは皆、多かれ少なかれそこに自身の期待を込めるのです。
「ほんとうに良かれと思って」
重要なのはここなんですよ。その両親が、一体どういう名前を付ければ幸福であると考えているのか、という点こそが。平凡で保守的な名前こそが幸福のカギとなるだろうと考えている親も、一番じゃなくていい世界に一輪だけの花になって欲しいと考える親も、基本的には同じこと=子供の幸福をを願っている。
ただ、そこに至る論理過程が違うだけ。




一体親は子供をどう育てれば幸福な人生を歩めると考えているのか?
――親が子供につける『名前』というのは、その答えとなる一番最初のメルクマールなのです。ぶっちゃければ親の価値観を映すただの『指標』に過ぎない、と言ってしまっては身も蓋もありませんけど。




つまり、そうした「キラキラネーム」によって子供の未来が決まるわけではない。それは原因ではない。むしろその命名が証明しているのは、その名前を付ける「親の過去」なのです。その命名規則はその後の子育ての遍歴を、しばしば、象徴することになる。

これから親になる人たちというのは、よくよく考えて子供の名前をつけたほうが良いような気が。

「キラキラネーム」をつけるのはやめよう : 地政学を英国で学んだ

まぁその意味で「名付け」の時だけ、気合いを入れてもあんまり違いはないんですよね。結局はその後10年以上続く子育ての中で、必ず子は親が持つ「地の顔」から影響を受けないわけがないんだから。